はじめに(コメント)
35年かかって🤣、SHARP X1のユーフォリー(Euphory)をクリアした。
いったい、ユーフォリーというゲームはおもしろかったのか?
と問われると「……そんなには……」と答えるしかない。
じゃあなんで、そこまでしてクリアしたのか。
問い詰められても「ぐぐぐ」となるだけである。
それなりに(攻略を探す)手間ひまかけて、
何度も(攻略探しを)中断しながら、
何年もかけて続けたのはなんでだろう。
じぶんでも疑問におもったのでツラツラ書き出してみた。
なにが「いまいち」か
2021年の基準で、1987年を振り返るのは可哀想だが、 ゲームとしては下記の難点がある。
- マップが(無意味に)広い
- 「そらわからんで」というところに大事なアイテムがある
- 海中の操作性は、悪い
- ヒントが少ない
- けっきょくお遣いゲームである(しかもヒントは少ない)
- むちゃくちゃ難しいアクションを要求される
- 設定はおもしろいが、ストーリーは大したことない
- ゲームバランスもいまいち
歴史的意義
とはいえ、未だに評価もされ、EGGでも配信されている。少なくとも1987年基準では、インパクトがあったはず。それは(おそらく)……
- SHARP X1オリジナルゲームであった
- パソコンにしてはスムーズなアクション
- スプライトが使えないとはおもえない
- 2人プレイも可能
- TAKERU(ソフト書き換えサービス)での配信
- 目新しい
- 少し安い
- FM音源によるすばらしい音楽
- 他機種から遅れ、1986年にFM音源ボード発売
- 遅れたおかげで、性能はよかった(らしい)
現在的意義
おもうに「待ちに待って発売されたFM音源をつかった」「最新のキレッキレの音楽」で、「X1ユーザだけが遊べる」「スムーズなアクションゲーム」というのがインパクトがあったのではないか。
わたしも、X1用スーパーマリオを見て、「こらあかんわ……」と絶望したものね。
当時はスプライト
も知らなかったので、パソコンというのは、「アクションができひんもんなのや」と。値段がひと桁ちがうファミコンにも負けるのやと。
SHARPの「パソコンテレビ X1」は、ファミコンに負け、パソコン内ではPC88に負けていた。そんななか「ほかより性能の高いFM音源」を活かした、バリバリ動くアクションゲームというのは、よほどユーザの溜飲が下がったらしい。
リアルタイムで経験しているので、思い起こすと、そういうことだった。
アクションも、とくに冒頭は素晴らしく、2人同時でもスムーズなのは感激だった。
音楽も気合が入っていて、今になって知るわけだが、当時若干17才の齋藤学氏のデビュー作だったという。
齋藤学が当時よちよち歩きだったゲーム音楽に何をもたらし、5年ほどの活躍を経て22才で夭折された様子は、お父様の書かれたウェブサイトに詳しく、わたしなどが何かを付け加えることもできない。
とまれ、1987年というのは、バブル景気まっただなかであり、日本もアメリカに経済で勝って調子に乗っていたし、パソコンも乱戦状態、ファミコンも登場してきてゲーム市場が急拡大、あちこちに未開の荒野がひらけているときだった。
手つかずのあらゆる可能性に囲まれているとき、17才のアルバイト学生でも、才能があれば抜擢され、音楽を通じて世界のありようを変えるリーダーとなっていった。あのころは、だれにだって、可能性は開けていたのだ。
お父様のウェブサイトも閉鎖されたのか、Internet Archiveに記録されているものしか見られない状態で、齋藤学氏の記憶は刻一刻と、歴史のなかに砂の一粒のように埋もれていっている。
たとえ齋藤学氏の記憶が、たとえシステムサコムの記憶が埋もれていこうとも、彼らが前進させた、プロ級の才能のある音楽家による「ゲーム音楽の進化」という結果が後戻りすることはない。
功績は肥沃な土壌の一画を占め、後続世代が花を咲かせる土台になっている。
いまでも、Project EGGやX milleniumなどをつかって、当時を追体験できることには、感謝しかない。
あのころだけじゃなくて、いまだって、本当はだれにたいしても、いつでも、可能性は開けているんだ。
ささやかながら、世界を変革した、今は名を忘れられかけている英雄への、追悼のプレイであり、攻略記録であった。