虎(牛)龍未酉2.1

記録帳|+n年後のジブンが思い出せますように……

子どもを叱らない

一ヶ月ぐらいプラプラと家にいて
ふとひらめいたので、「子どもに対して叱らない」
というのを修行だとおもってやってみていた。
 
まだまだ100%というわけにはいかないけど、
半分ぐらいは叱らずに、問題解決できているような
気がする。
 
コツは……企業ひみつです。
 
きちんとこちらの構えができれば、
叱らなくても、かれら・かのじょらが考えて
良きようにはからうものだと思いました。です。
 
 
そんな修行(笑)をおもいついた背景は、2つ。
 
自分自身が、世の中的には「偏差値の高い」学校にいけたのは、
けっきょくのところ源をたどれば、中学3年生のときに、
国語の宮崎先生という美人な先生に「湯川秀樹自伝」を借りて
読んで、物理学者になろう。と思ったからで、
それ以降、いちども「できないかも」と思わなかったから
なんだよね。
 
予備校や塾にも行かなかった。
独自の勉強方法を思いついてやった。
それも、わりと変わったやりかただった。
でも、なんとかできるようになるもんなんだよね。
というのが1つめ。
 
2つ目は、フェデラーのテニス。
(じぶんと対比するのもおこがましいですが。)
「物理上あり得ない」ぐらいのショットを打つじゃないですか。
宇宙人か神にでもなったんちゃうか?っていう。
 
そういうプレイをしているときどんな気持ちなんだろうと
想像するに、まちがいなく「失敗するかも」とはまったく
思っていないだろうと。
おそらく、忘我の境地、後で考えたら何ものかに導かれて
やっちゃった、みたいな感じなのではなかろうかと。
 
それをコンスタントにやり続けられるのは、
「ダメかも」という想いがゼロに近いから
なんじゃないかなと。
 
よく、家族ぐるみで鍛えに鍛えたトップテニスプロが
20歳越えてバーンアウトするんだけれども、
あれ、叱られすぎなんじゃないかと思うんだなあ。
(あるいは、本当は本人がやりたくないと心のそこで
 思っているか。)
 
 
そういうことをつらつら考えていて、
こどもを叱るって、あとで解消しなければならない
ゴミを子どもに与え続けているだけなんじゃないかと
思ったんだよね。
 
大人になってみんなやってるのって、
ゴミをきれいに解消することの連続じゃないですか。
そうでもないかな。
 
 
とゆわけで、もうしばらく修行をかさねて
方法を発見していこうと思いまする。