■しょうゆ
菌類および発酵するものに、異様な興味を抱いているわたしですが。
いまさらながら大発見。
「万願寺唐辛子の炊いたん」というのがわがやの定番料理なんです。
万願寺唐辛子(辛くない唐辛子)と、しめじ(とかきのこ類)、揚げとを、
だし、酒、しょうゆで炊きあわせる(みりんや砂糖は使わない)、という
だけの料理。
これをざっくりとしたお鉢に盛って、山椒を振った日にゃ
どんぶり飯が2杯でも3杯でも。
ところが、今回の「万願寺唐辛子の炊いたん」はおいしくない!
ご飯がすすまない!
なぜかー。それは角長のしょうゆが切れたからだー。
角長の醤油が切れたけど、それでもけっこういい醤油を使ってるんだよね。
名誉のため(?)具体名は伏せるけれども300mlで1,800円。
……って、高っ!調べなおすまで知らなかった。
そんな高かったっけ。うそー。
値段はともかく、味はまあ、ごにょごにょ。
とにかく飯がすすまん。
「万願寺唐辛子の炊いたん」の大好きなあきちゃんも凹み気味。
というわけで、今年も角長の醤油を発注。
(たとえば、通販ショップの紹介ページ。
角長は自社ウェブサイトを持ってないみたいなので)
http://www.kagimoto.com/site_wakayama/xhp_flavor/p_soy_kadocho1.html
900ml約1,000円を6本発注して、送料込み6,500円ぐらい。
だいたい2本ぐらいを人にあげちゃって、4本を1年で使うぐらいのペース。
6,500円で一年の幸せが買えるなら、買っちゃいますよもう。
あきちゃんも、今回角長のしょうゆが切れたら、まあ追加しなくてもいいかと
思っていたけれど、「万願寺唐辛子の炊いたん」の味のあまりの違いに
ショックを受けたとのこと。というわけで即刻発注。翌日到着。しやわせー。
角長のしょうゆ、ちなみに今はジャスコで売ってます。
ちょっと前までは、高島屋と、東京では紀伊国屋でしか売っていなくて、
角長のしょうゆを買うためだけに、横浜は青葉台の紀伊国屋まで
行ったもんですが。
角長本社に発注すれば、(たぶん)新しいし、
大瓶が買えてコストパフォーマンスがいいです。
ウェブ進化論を読んで、洗濯物を干していてふと思ったんだけれども、
FONとWii/Nintendo DSの相性って、よさそうだなあ。
http://jp.fon.com/
任天堂がFONに声をかけるのか、
FONが任天堂に仕掛けていくのかわからないけれども、
ビジネスチャンスはありそうな気がする。
だって、Wiiは、世界で普及する、
はじめてのシンクライアントになるから。
1〜2年で、ワールドワイドで3000万台〜5000万台は
売れるだろうから、そうなると、世界で始めて、
シンクライアントのスタンダードが生まれることに。
使ってみての実感としては、512MBのフラッシュメモリが
少なすぎるので、そこがボトルネックになるかも。
ま、本気でなんとかしようと思えば、
外部ストレージとしてUSBもSDも使えるか。
同じことを考えている人は世界中に3万人ぐらいいると思うので
動くときは動くんでしょー。
ちなみにわたしは、住んでるホテルでWiFi環境を構築するために
FONが使いたい。DSでテトリスをやるのだ。
家族・親類でクローズドなネットワークを作るなら
Wiiが最適解だという状態に、すぐなると思う。
■読了
□ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎)★★★★
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106101939/mixi02-22/
おもろい。あまりにおもしろかったので、買ってたけど読んでなかった
「ウェブ進化論(梅田望夫)」も読み始めた。
全体としては、梅田さんが「質問され慣れている」
「質問されることを通じて考え抜いている」という感じがおもしろかった。
平野さんの(わりと)とんちんかんな質問に対しても、
正面から返すでもなく、誤魔化すでもなく、でもきっちりと切り返して
いるのが、プロのコンサルタントだなあということを思った。
平野さんがとんちんかんなのは、悪いことという意味ではなくて、
わたしはどちらかというと技術サイドの人間なので、
平野さんの疑問について、どうしてそう思うのか、
背景が正直わからんということ。
おもったこと。(長い!)
●「作家でもアカデミックな世界の研究者でも、
知ってる、ということだけではもう威張れない」
⇒それは、梅田さんが東大系の人だからそう思うんじゃ
ねえのかと思う。あるいはわたしが、少々過激気味の
京大寄り思考だからかもしれない。
そもそも、知ってるということで威張れると思ってたのは、
東大系の人の勘違いだよねと。
入試問題にもそもそもあらわれていて、東大の問題は
「知っていることをいかに効率的に吐き出すか」を問い
京大の問題は「困った状況でいかに振舞うかを見る」を
問う。研究の世界も、先端は、とっくの昔に知っている
ことだけでは威張れない。東大は世界の最先端じゃないので
そういうシビアさに触れてなかっただけじゃないのかと思う。
ビジネスの世界も、もうとっくに、知っていることは
競争優位ではない。
●「空いているスペースを取る」
⇒書名について、空いているスペースを取るという発想は
とてもおもしろかった。考えたこともなかった。
でも子どもの名前をつけるときに、有名人の名前に隠すというのは
実感としてピンとこない。そういうのはメジャーにならないと思う。
なぜなら検索エンジンのアルゴリズムは時間的にどう変わるか
わからないので、そんなものを判断基準にはできないから。
名前をつけた後、いちおう変な意味がないかとか、
凶悪犯罪者がいないかとかを調べるということはやったけれども、
それによって意思決定を左右するかというと、ちょっと違うなー。
それならまだ、(あくまで比較問題として)字画のほうを気にする。
●「一覧性とか携帯性とか、やっぱりコンテンツ自身ではなく
パッケージ性が重視されているということ」
⇒パッケージというのはこれからの時代のキーワードだと思った。
なぜお金を出して本を買うのか?(古本屋で売っても
二束三文にしかならないのに!)
なんで新聞をとるのか?(わたしゃ要らないと思ってる)
パッケージ、付加価値、感謝、そのことに自覚的な企業・メディア・
サービスだけが生き残ると思う。
ちなみに、WiiやDS、つまり任天堂がすごいのは、パッケージと
いうことについて極めて自覚的であるから。
たとえばWii Sportsというのはただのゲームだけれども、
パッケージということで考えれば、いくらでも考えることが
あると思うのだ。
●「音楽がiPodの普及で変わったのは、
アップルのスティーブ・ジョブズという人がひとりいたから」
⇒個人的な趣味かもしれないけれども、最近、自分の階段は自分で
作るしかないとか、そういう言葉に惹かれる。
それから、スティーブ・ジョブズという人は、常にウォッチ対象。
ついでに、「狂気」というのは、3年連続マイキーワード。
「不特定多数無限大」と「アップルのジョブズとアマゾンのベゾス」
というのはロジカルには対立概念のはず。
「不特定多数無限大の世界=1人が完全に世界を変える」
というのが同じことであるのが、これからの時代なんだなあ。
●はてなの取締役になる際「通過儀礼として『スター・ウォーズ』の
DVDを全部見てくれって言われた」
⇒高校生のときわたしは「スター・ウォーズを観ていないなんて、
人生の3分の1を損している」と言って、
語り草になったのだけれども。
今でも半分そう思っている一方で、エピソード1〜3にはがっかり
させられている。狂気というより、
予定調和のほうを感じてしまうので。
通過儀礼として『スター・ウォーズ』のDVDを見るという
カルチャーにはついていけないと思う。
いっぽうで、X68000の「スター・ウォーズ」をエミュレータで
遊ぶことをまだ夢見ているのだけれどもね。
わたしの好むところの「狂気」という意味では
ロード・オブ・ザ・リングのほうが、全面的に、狂ってる。
●「「教養」の核になる、読み、書き、考える力を
身につけさせてくれるのは、ネットよりも、思考がしっかりと
構造化された本だと思いますよ」
⇒納得しかけたんだけれども、ほんとかなあ。
そもそも構造化という発想が日本のどこかにあるのか?
梅田さんがコンサルタントだからそう思うだけでは。
日本の教育で、いちばんひどいなあと思うのは国語教育において
構造化とか、論理性が欠けていること。国語については、
教育されたら負けだとさえ、わたしは思っている。
本田勝一の「日本語作文の技術」を標準テキストにすべきだと
思ってるぐらい。(ちなみに研究室の美山さんの本棚で見つけて、
むさぼるように読んだ本だ)
妻の専門の関係で国語教育のテキストはうちにいっぱい
あったけれど、構造という言葉を誰も知らないかの
ようであった。
とある会社の、とても優秀な若手社員(理科系)と話をしていて、
「論理的であるとは、構造を持つことである」と
ふわっと言ってしまって、その説明をするのにとても
時間がかかった。
わかってもらえているのか、いまだに自信がない。
(これはわたしのレベルの問題だ)
本とは、思考が構造化されたものだとは、私は今のところ、
思えない。これからはそうあるべきだというなら、ある程度わかる。
そんなことはともかく、対談というのは、日本特有のスタイルだと
聞いたことがある。真偽のほどは定かではないが。
「ウェブ人間論」は対談形式で、ある程度の構造は再構築している
とはいえ、構造なきなかで語り合っていて、それがいちばんの
付加価値になっているあたりが、けっこうおもしろいと思った。
●はてなの近藤淳也、ミクシィの笠原健治、平野啓一郎のいずれも
1975年生まれで、「その前と後で大きな断絶があって、
1975年生まれの人はちょうど分水嶺に位置していますね」
⇒1974年生まれとしては、そこで切らないでもらいたい(笑)
いや、まじめな話としては、生まれた年ではなくて、
1998〜2002年あたりに何をしていたかが重要なんだと
思うです。
はてなの近藤社長も写真家をしたりアメリカ横断したり、
自分の会社を立ち上げて試行錯誤していたときだし、
笠原社長も同じく、ひとつめのビジネスがいまいちで
右往左往していた時期になる(はず)。
そのときに、オープンソースの洗礼を受けたかどうかだと
思うのであります。
オープンソースの洗礼はやっぱり強烈で、ちなみにわたしも
研究室で「伽藍とバザール」を印刷してひたすら読んでいたり、
iMacにlinux入れたり、いろいろやってたよなー。
web 2.0の黎明期は、社会に出てしまっていたので、
ちょっとわからなくて、いま追いかけてるという感じ。
□必笑小咄のテクニック(米原万里)★
今年ワースト1。数えていないけどたぶん今年100冊は読んだ。
そのなかでぶっちぎりのワースト1。
話の組立について学ぶところがあるだろうという期待を抱いて
読み始めたけれど、1章で期待は崩れ去る。
それでも意地になって最後まで読んだ。
悪口を書くのは本意ではないけれども。
あまりにも西洋かぶれ(ロシアかぶれ)が露骨。
笑いの質もそもそも低い。M-1を見て、今の笑いのレベルを体感した
あとだと、この本自体がジョークでしかない。
新書版のクオリティが最近高いので、油断した。
ウェブ人間論を読んだ直後というのも災いしたか。
あまりに、思考が浅すぎる。
学びというか発見。ウェブ人間論に「1975年生まれかどうかに
(新しいネットワークのあり方を理解できるかどうかの)分水嶺がある」
という話があるのだけれども。外国への理解についても、どこかに
分水嶺があるんだろうなあ。
きっとそれは、海外渡航が自由化されたとき、大学生だったかどうか、
とかそういう年代で分かれ目があるんだと思う。
上の年代の人は、外国に対して、理解しがたい優越感もしくは
劣等感があって、正直、われわれの年代ではそれは理解しがたい。
□のだめカンタービレ(1)
今年最後の読書が「ワースト1」になるのは後口が悪いので、
これまた意地になって読了。
おもろい!!!
あきちゃんが「おもろい」と断言したものは、的中率100%。
あきちゃんがドラマを毎週見ていたという、
年に1回あるかないかの出来事だし、
ドラマ完了後、アマゾンでCDを発注してほしいと
わざわざリクエストしてきたという、前例のない事態であったので
のだめには注目してたんだけれども。原作、おもろい。
変人キャラクターで引っ張っていくという、マンガならではの
組立が心地よい。
ワンピースとか、ゼルダの伝説トワイライトプリンセスに繋がる
流れと理解すればいいのだろうか。
古本で揃えるのはむずかしそうなので、新品で揃えていくことに、
なりそうだ。