虎(牛)龍未酉2.1

記録帳|+n年後のジブンが思い出せますように……

桃とかけて闘うと解く。そのこころは五十六

■企業の桃源郷
なんかこう、圧倒的に負けた感を感じた日であった。
ま、負けたなあ、まいったなあ。
というところからいつもスタートして、
たいていは追いつき追い越して生きてきたのだ。
 
■still fighting
茨木のり子さんの「私が一番きれいだったとき」と「自分の感受性くらい」とゆう
詩を読んでみたけれども、
正直な感想は、まだまだおれはこんな詩に歌われるところにいってないぜ、
まだまだ闘い続けてるぜ、という感じ。
書いてみて青臭いとは思うけど、まだまだ闘ってます。
そんなかっこいいもんじゃないか。
負けてるのに、負けてないつもりなのかもしれない。
 
お父さん業をやるって、でもほんとうに、
オスとして闘い続けるってことなんじゃないかと、思います。
かっこよすぎるか。なんか、良い言い方がないかね。
 
山本五十六

やってみせ …… 率先垂範
言って   …… プレゼンテーション、説得
聞かせ   …… 腹落ち、納得
させてみて …… 実行
ほめてやらねば …… 評価。○なのか×なのかはっきりさせること
人は動かじ
 

マッキンゼーとか戦略系コンサルだとよく
「誰が言ったかではなく、何を言ったかのみが重要とされる」みたいなのが
美しい話とされる。
 
たしかに美しい話だけれども、
現実のマネジメントの世界では
「同じことを言っても、誰が言ったかでぜんぜん違う」
というのが大事になる。
 
その「誰が」というのが、「役職者だから」「上司だから」
ということであれば、まったくナンセンス。
圧倒的な物量(作業量)に裏打ちされた人間の言うことは、
なぜだか相手に伝わって、それが相手を動かす。
 
現実のマネジメントは人を介在する行為であって、
人を動かすには、人が大事であるという、
当たり前のことであることよ。
 
戦略系コンサルに対する良し悪しの話ではなくて。
彼らは正論と切れ味が求められてるので事実ベースで理屈が通っておれば、
あとは多少気が聞いておれば良いのだろう。
われわれのように、完遂するところまでご一緒しようと思うと、
われわれ自身にも物量が必要で、
そのあたりの地味さが嫌な人は、うちのファームに来ても
厳しいんだろうなと思う。