仕事の関係で、休みが土日ではなく。
テニスに行けてない……。
来週あたりは「行く」と決めて行かなければ成り行きでは行けねえ。
■寂光院
□今年はまだ紅葉を見に行っていなかったので、1箇所ぐらい
いくべかあ、と思いたって。当初、龍安寺に行こうと思って
いた。
一、近いから
一、禅寺だから
一、広くて紅葉がきれいだから
□が直前になって竜安寺に行くのを中止
一、近すぎて「日常」を引きずりそうだから
一、よく考えてみれば去年も龍安寺の紅葉を見に行った
一、ようするになんだか、ときめきがない
□ということで、龍安寺にいく道すがら、寂光院に変更
一、ちょっと遠いので、「非日常」に浸れるし、ドライブもできる
一、出発だけは朝早かったので、今日の予定内に収まりそう
一、先月三千院には行ったけれど、寂光院は4年前に行ったきり
□寂光院での発見
一、仏教の受け入れられ方の歴史をうすらぼんやりと
分かるだけでも、よりよく理解できるようになる
いまの理解レベルでも面白いのだから、
もっとわかるともっと面白いのだろう
一、寂光院は意外と(入場料が)高い
三千院がたっぷり見るところがあってほぼ同価格なので
でもイイですよ寂光院
一、寂光院は、若い女性に人気がある、らしい
理由は、よくわからない
でもたしかに、三千院のほうが、「なんかわからないけれど
来てしまっている」おっさんが多いように思う
気のせい?
■おいしい発見
□肉まんの皮を作るときに、酒を入れないのがコツでありそうだ
・北京で食べた肉まんの味が忘れられず10年近くが経つ
・日本であちこちの肉まんを食べたつもりだけれど、
あの味にはほど遠い
・素っ気無い皮と、油ギトギトのあんの組み合わせ
・皮については、皮の生地に酒を入れないと、
あの味に近づくことを発見
(日本酒を切らしていたので入れられなかった)
偶然の、大発見だ
・あとはあの、ぎとぎとしたかんじの肉あんを作れば
北京の味の再現は近いのでは!
・ちなみに小籠包も、いろいろなところで食べてるつもり
だけれど、西安の屋台、ろくに明かりもない暗がりで食べた
あれに勝てるものに会わない
一皿50円ぐらいなんだから、もっと食べときゃよかったなあ
□すき焼きの残りに、ごぼうを入れて卵でとじるとイイ!
・すき焼きの残りに、
白菜とごぼうを足して煮詰めて、
卵でとじて、
あつあつのご飯の上にのせて
粉山椒をひとふり、一味唐辛子をひとふり、
あーおいしかった
これからわがやの定番となるか
・すき焼きが、肉をおいしく食べる方法だとは思わないが
その他(とくに白菜かなあ)をおいしく食べる方法としては
スバラシイと思う
・とりあえず、ごぼう万歳
■読了
ほぼフル稼働していたわりには読めた。
新幹線の移動があると、読めるなあ。
□「ひとつ、村上さんでやってみるか」(村上春樹)★★★
全部隅々まで読む気はないので読了とする。
いつもながらおもしろい。
5年以内ぐらいにはノーベル賞取るんだろうなあ。
トイレの常駐本にしておきたい。トイレの本棚ってどうすれば
いいかんじになるのかなあ。
□坂の上の雲(1)★★★
おもろい。久しぶりに小説をがぶ飲みするように読んだ。
発見。河合隼雄が村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を評して
「日本の小説に珍しく構造がある」と言っていて、ずっとその
意味がわからなかっただけれども、司馬遼太郎を読んで得心。
構造がないわけではないのだろうけれど、だらだら喋っている
ような進み口が気持ちよい。
構造について補足メモ。自分はいつでも何でも、座標軸を作って
考えているような気がする。ロジックに強いと言われるときは
それが良い面に出ているのだろう。柔軟性に欠けると言われる
(自分で思う)ときには、座標軸を変えるのが遅れるのだろう。
ビジネス上win-win関係を構築するというのは、
座標軸を変えるということなんだ。とわかっていても、
一歩(も二歩も)遅れる。
なお、世の中ではあまり頭に座標軸、あるいは構造を
思い浮かべないんだろうなあというのも、最近の発見。
ついでに思い出し用メモ。構造主義は西洋のものだと思って
いたが、東洋(インド〜中国)も構造を作るの好き。
一番の違いは、西洋は背反に分けたがるが、
東洋は循環構造を作っても平気。というか意図的に作る。
循環構造による論理的矛盾を解消するため、
釈迦の言う「空」の概念ができあがった。
そして「空」の概念(文化的気風)が、インドで「0」の
発見につながった。ようである。
□サンショウウオの明るい禅(玄侑宗久)★★
「はじめに」がいちばんおもしろかった。白隠の隠し子の話、
おもろい。
■空手の昇段試験
□昇段試験の機能は、親の満足・納得させること
□私が空手に求めることは、身体の使い方を覚えること
□北野のテニス部でさんざん身体をいじめ倒したのは
(後遺症も多少あるけれど)非常によい学びとなった。
身体の軸の発見も、自分の中では大きな発見。