虎(牛)龍未酉2.1

記録帳|+n年後のジブンが思い出せますように……

僕の『Might and Magic』が、埃をかぶっている件について。あるいは、スキル習得の甘美な罠と、再挑戦を阻む得体の知れない何か

やれやれ、と僕は思った。

先日、いつものように中古のカセットテープ(というのは嘘で、本当は最新型のスマートフォンだ)でポッドキャストを聴きながら、高速道路を西に走っていた。Rebuild.fmの最新のエピソードだった。ゲストの広島さんが、ピアノと日本語かな入力の学習について、なかなか面白いことを言っていたのだ。(Rebuild:fm 406: Just Two People Talking (N))

ピアノの話が特に興味深かった。なんでも、三ヶ月そこそこでショパンノクターンが弾けるようになったらしい。素晴らしいじゃないか、と僕は思う。そういう急激な上達――いわゆる「加速期」というのは、何物にも代えがたい快感があるものだ。僕だって、昔作った「はでがめ」というパズルゲームで、解ける盤面を生成するアルゴリズムがピタッとはまった瞬間なんて、それこそ小さなショパンを弾きこなしたような気分になった(もちろん、ピアノは弾けない)。

しかし、広島さんの話はそこで終わらない。目標を達成した途端、ぷっつりとピアノへの熱意が消え、しばらくして再挑戦しようとしたら、指がもつれてどうにもならなかった、と。かつての自分とのギャップと、再挑戦の億劫さ。うん、これはよくわかる。


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白黒画面の冒険と、Excel方眼紙のダンジョンマップ

僕にも似たような、しかしもっと埃っぽい経験がある。 あれは、そう、確か2015年頃だったか。僕はひょんなことから、20年以上も前のクラシックなコンピュータRPGにのめり込んでいた。『Might and Magic Book One』。白黒の、お世辞にも美しいとは言えないグラフィック。それでも、あの広大で不親切な世界を、英語のメッセージと格闘しながら手探りで進んでいくのは、なかなかにスリリングな体験だった。

当時の僕は、我ながらよくやったと思う。インターネットの片隅に打ち捨てられたようなファンサイトから攻略情報をかき集め、Excelを方眼紙代わりにマップを夜な夜な作成した。どのキャラクターにどの魔法を覚えさせ、どの順番で強化魔法(いわゆるバフというやつだ)をかけるか、完璧な「儀式」まで編み出していたのだ。パーティーが少しずつ強くなり、以前は手も足も出なかったモンスターを倒せるようになる。そういう小さな達成感の積み重ねが、僕をゲームの世界に深く引きずり込んだ。

そして、物語もいよいよ大詰め。世界の存亡をかけた最後の戦いが目前に迫っていた。…はずだった。なぜなら、僕の冒険の記録は、そこでぱったりと途絶えているからだ。まるで、読みかけの面白い小説が、最後の数ページを残してどこかへ消えてしまったみたいに。

10年ぶりの再起動と、解読不能な「かつての僕」

それから10年が経った。つい先日、僕はその古いセーブデータを、まるで古文書でも発掘するように起動してみた。懐かしい白黒の画面。そして、かつての僕が心血を注いで育て上げた、完璧なステータスを持つパーティー

だが、問題はそこからだった。

「ええと、この『Light』の呪文、確かダンジョンを明るくするんだったよな? でも、持続時間は?」 「この『Wand of Annihilation』とかいう物騒な名前の杖、あと何回使えるんだっけ? そもそも誰に持たせてた?」 「次、どこへ行く予定だったんだろう。自作マップのこの赤い×印は、宝箱? それとも危険地帯?」

かつての僕が蓄積した知識と戦略は、10年の歳月で、僕の頭の中からきれいさっぱり消え去っていた。あまりにも「完成されすぎた」セーブデータと、それを補完するはずの膨大な(そして今となっては暗号同然の)自作ノート。それらは、今の僕にとっては、ただただ圧倒的な「再開の壁」でしかなかった。結局、僕は数分ほど呆然と画面を眺めた後、深いため息とともに、そっとゲームを終了させた。やれやれ、だ。

「やりきった感」の後にくる、再挑戦のエネルギー問題

思うに、広島さんのピアノの話も、僕の『Might and Magic』も、根っこは同じなのだろう。一度、自分なりに高いレベルに到達し、「やりきった感」みたいなものを味わってしまうと、ブランクを経てそこに戻るのは、想像以上にエネルギーがいる。過去の自分という名の亡霊が、やけに優秀に見えてしまうのだ。

「はでがめ」を作っていた時にも似たようなことを感じた。最初はシンプルなルールでサクサク作れたものが、だんだん「もっと面白くしたい」「もっと奥深くしたい」と欲が出て、複雑なスコア計算やステージ構成を考え始めると、途端に開発の「加速期」は終わりを告げ、デバッグという名の長いトンネルに入り込む。そして、しばらく放置してコードを見返すと、「これ、なんでこんな処理にしたんだっけ…?」と頭を抱えることになる。あの感覚と少し似ている。

広島さんは、その後の日本語かな入力の学習では、あえて「完璧」を目指さず、「できない状態から少しずつできるようになるプロセスそのものを楽しむ」ようにしたそうだ。これは、なかなか本質を突いたアプローチかもしれない。僕がMight and Magicを再開できなかったのも、無意識のうちに「あの頃の完璧なプレイを再現しなければ」と気負いすぎていたからだろう。

ゲームデザインに見る「おかえりなさい」の仕掛け

最近のゲームに目を向けると、この「再挑戦のしやすさ」や「ブランクからの復帰」をうまくサポートする仕組みが、さりげなく組み込まれているものが多いように思う。例えば、久しぶりにログインしたプレイヤー向けの「復帰者ボーナス」があったり、重要な情報を忘れていても自然と思い出せるようなチュートリアルが用意されていたり。あるいは、定期的なイベントやアップデートで、既存の攻略法が通用しなくなる代わりに、新しい「加速期」を提供してくれる。あれはあれで、プレイヤーを飽きさせない巧みな仕組みなのだ。

僕のMight and Magicの冒険は、ハードディスクの片隅で、今も「つづきから」の選択を待っている。あの頃の僕が作り上げた完璧なデータは、もしかしたらもう二度と日の目を見ることはないのかもしれない。

でも、それでいいのかもしれないな、と最近は思う。無理に過去の自分を追いかけるのではなく、今の自分が楽しめるやり方で、新しい「面白い」を見つければいい。例えば、Might and Magicなら、いっそ「ニューゲーム」で、あの頃とは違うクラスのパーティーを組んでみるとか。自作マップなんて見ずに、純粋に迷子になるのを楽しむとか。

そういえば、この間、久しぶりに古いパンクのアルバムを聴いてみた。昔はどうしてそれほど熱中したのかわからないまま聴いていたような気がするけれど、今聴くと、なんだか素直に心に沁みてくる。そういうものなのかもしれない。

日常の中の小さな「面白い」のタネ

大切なのは、過去の自分に囚われず、今の自分が心地よいと感じるペースで、日常の中に小さな「面白い」のタネを見つけていくこと。それが、僕たちが日々を少しだけ豊かに生きるための、ささやかだけれど、案外悪くない方法論かもしれない。

さて、そろそろ仕事に戻るとしようか。今日締め切りの仕事が、僕を待っている。やれやれ。


参考