虎(牛)龍未酉2.1

記録帳|+n年後のジブンが思い出せますように……

歎異抄、第1章

【原文】

弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさん(申さん)とおもひたつこゝろのをこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、たゞ信心を要とすとしるべし。そのゆへは、罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆへに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆへにと、云々。

 

【訳】

阿弥陀様の本弘誓願という人智を超えたはたらきに助けられ、往生できるのだと信じ、念仏を唱えようと思い立つこころが起きるとき、たちまち阿弥陀様のご利益に預かることになる。阿弥陀様の本弘誓願は、老若であっても、善悪であっても、人を選ばず、唯一信じる心を必要とすることを、よく理解しておくのが良いだろう。というのは、そもそもが罪悪が深く重く、あるいは煩悩が熾って盛んな人々を助けるための誓願でいらっしゃるからだ。従って、阿弥陀様の本弘誓願を信じるのであれば、他の善行も必要ではない。というのは、念仏にまさる善行はないからだ。(すでにやってしまった)悪行でさえもおそるるに足りない。というのは、阿弥陀様の本弘誓願の成就を妨げるほどの悪行はないからだ。などと親鸞聖人は仰った。

 

【作業メモ】

表現は岩波文庫歎異抄』に沿った。

 

【17B087-088】世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(村上春樹)

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 全2巻 完結セット (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 全2巻 完結セット (新潮文庫)

 

 

夜のホテルの部屋で、よく納豆を食べる。
コンビニで買えるいちばんまっとうな食べ物は、
納豆だと思っているからかもしれない。

仮にいつも同じ銘柄を食べるとすれば、
納豆の美味しさを決める要素は3つ。
つまり豆(のかきまぜ)とタレとカラシ。

まずたっぷりとかきまぜ、泡々になったところに
カラシをかけて混ぜ、最後にタレをかけて
みたびよく混ぜる。これを仮に標準型としよう。

標準型から順番を変え、
豆まぜて泡々、タレかけてよく混ぜる、カラシかけてひと混ぜ。
これで味はすっかり変わる。

さらに手順を変え、タレ少し入れる、豆まぜて泡々(一層泡々)、
タレ追加と同時にカラシかけて軽くひと混ぜ。またこれで変わる。

村上春樹の小説も似たようなところがあって
(納豆と並べるのもどうかと思うが)、
出てくる要素はいつも同じ。

2つの世界、妻が出ていってしまった男、性交のない受胎、
皮剥ぎ(あるいは拷問)、行方不明の猫、手を引く女の子、
変わった喋り方をする人物、暗闇の通過、終わりのない終わり。

納豆よりはたくさんの要素(パラメータ)があるけれど。
結局のところ、出てくるのは同じ要素。
順番が変わり、設定が変わり、状況が変わる、のみ。

その、変わっているけれどちっとも変わっていないことが、
読者になにかを与える(あるいは引き出す)。
その、不易性と流行性が、世界中に愛読者を生み出す。
だから、読み終わったあと、何が書いてあったのか、
さっぱり思い出せない(だって要は同じ話なんだもの)。

何とも言えず中毒的に魅力的な村上春樹ワールドの原点が
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』。

処女作にその作家の全ては含まれていると言う。
たしかに『風の歌を聴け』はそうだと思う。
が、ひと山越えて次のフェーズの、と言う意味では
『世界の終わりとー』が実質的な処女作にあたる。

その後に村上春樹氏がどういう物語世界を構築するか、
結果が既にわかっている今、あらためて読み返してみると、
よりくっきりと『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
を楽しめる気がする。
ちょっと読みにくいけど、読むなら今こそではないか?