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013:古代脳

ほんとかどうか分からないぐらいの大胆な仮説として「古代脳」仮説というのがあるらしい。ざっくりと言うと「紀元前2000年位までは左脳と右脳が分かれていて、今とは全く脳の使い方が違った。人の脳には直接神の言葉が響いていた。その後左脳と右脳が連携し、言葉が生まれ、意識が生まれ、煩悩にまみれてややこしいことになってしまった」ということだそうである。かなりざっくりですが。
本当だかどうかは脇においておくとして、もしそうだとするならば説明できることがたくさんあるという魅力は大変に捨てがたい。
「紀元前6世紀前後に、ソクラテスプラトン、ブッダ、孔子荘子ゾロアスターらが一斉に登場してきた。かれらが総じて考えたこと、それはまさしく『出来の悪い意識をどのようにほどよく遊ばせるか』ということだったのである」というのは本当にごもっとも。と思う。
白川静さんが生前はご近所さんだったそうで(結局どこに住んでおられたのか未だ発見できていませんが!)、そんな御縁もあって漢字の起源を折に触れて調べるのが趣味なんですが、漢字の起源を知れば知るほど、古代人には神の声が直接響いていたというのが大変に説得力をもってくる。白川静さんもじつはスイッチが入って神の声が聞こえるようになってしまったのではないかと思うぐらい。
古代ローマ人は「黙読」ができず「音読」しかできなかったそうで、まだ言語や意識を使いこなせず、頭の中で言語を操作しきれなかったのではないかと思う。
古代脳仮説がそうだとすると、進化論ってなんなんだということにも考えがおよぶ。私の理解している範囲では、1000年単位で脳の構造が変わるような大きな進化というのはいわゆる進化論のタイムスケールよりずいぶん短いのではないか。これは進化の一環ではなく別のことなのか、あるいは進化論というものが過大評価されすぎているのか。どっちにしろ、脳のブレイクスルー(必ずしも幸せなブレイクスルーではないが)が1000年や2000年で起こるのだとすれば、あと1000年ぐらいしたらまた脳は別の発展をみせるのか。あるいはもしかすると、今は次のステージへ向けての移行期なのか。とか妄想ばかりが膨らんでいく。
まなんにせよ進化論というのが何であったのかということは問い直してみても良いんじゃないかという時期に来ているとは思う。ビジネスの世界でもよくダーウィンの「種の起源」が引用され「強い者が生き残ったわけではない。賢い者が生き残ったわけでもない。変化に対応した者が生き残ったのだ」、ゆえに会社組織も変化しなければ生き残れないのだと説かれる。
この言葉をわたしが大好きなのは、実はダーウィンは種の起源でこんなことは言っていないからだ。ふだんは「ダーウィンがたとえ言っていなくても、これが真理だと思うからみんな納得するんでしょ。だからダーウィンが言っていようといまいが、変わっていきましょ」というハートウォーミングなメッセージで落ちをつけるのだけれども。本当は、大英帝国発のダーウィンとケインズがいかにこの150年の時代の思想基盤をつくってきたのか、ということを深堀りしたほうが良いのだと思う。深堀りして何が出てくるのかは知らないけれど、ダーウィン主義と今西錦司生物学、ケインズシュンペーターをこりこり掘り下げていくことからヒントはたくさん生まれてくるだろうという感じはする。
またもや脱線した話をもとに戻すと、昔の人が古代脳だったかどうかは証明するの難しそうだけど、現代に生き残っている数少ない「古代脳」人をみれば、「そういうこともあるかもな」と思えることはまちがいない。家人とわたしの脳の使い方は全く異なっていて、お互いにお互いを「異星人」扱いしているのだけれども、これは古代脳と非古代脳の違いであると説明されると大変に納得がしやすい(ちなみに、お互いの特技を教えあって、少しずつですがマスターすることもできます)。わたしがそういうことにオープンだからそういう人が集まってくるのか、家人以外にも何人か「古代脳系」の人を知っている。うちの子どもたちもおよそ半々で古代脳・非古代脳が混じっている。あ、おじいさんおばあさん系にもそういえばこれは古代脳だなという人が混じってるな。
なんというか、、、悟っていて、判断が早く、ほとんど判断を過たない。悟っているという言葉は手垢が着いていて誤解を招きそうなので「智慧を得ている」にしたほうがいいかな。家人は「小さいころは頭の中で文章を組み立てる、ということの意味が理解できなかった」とか「小学校五年生のときに坂道をのぼっているときに智慧を得た」といっている。レンタルビデオ屋さんとか本屋でモノを探すときには「えいやっ」と探して見つかる。そんな感じ。古代脳系のひとは神の声を直接聞いているとしか思えないことを次々とやれる人々ですが、現代社会、とくに学校みたいなところでは苦労するみたいです。そりゃそうだよね。非・古代脳の育成所だものね学校というのは。
というのはじつは、娘が九九のドリルを解くのを眺めていて、大変に苦労しているようだったので(珍しく家人もカリカリしていたので)、「黙ってこたえ書くのあきらめて、声出しながらやれば?」と言ったら、あっという間にやれるようになって(午前中黙ってやるときには3時間かかっていたのが、その日の午後には10分ぐらいでできるようになった)、ああ古代脳人はこんなふうなんだなあとしみじみと思った次第。ああこのハッピーやろうめ。
われわれ非・古代脳人は、いい加減なツールである「言語」と「意識」をうまく使えるようにするために、いろいろと苦心をしなければならない。学校でも会社でも、とにかくどこにいってもろくに教えてくれないからね。入口を見つけるには「道」のつく習い事がわりと良いかもしれないですね。
 

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