虎(牛)龍未酉2.1

記録帳|+n年後のジブンが思い出せますように……

ワトソンの事件簿【第11回】時の迷宮と、賞賛としての汚名

霧の中の誤算

この家の主は、ときに「自分は機械に住んでいる」とでも言いたげな生活を送る。だが、その実、機械のほうが彼に住み着いているのではないか――私は本日、その疑いをいよいよ濃くした。

早朝の記録に、こんな一行が残っている。「よーしがんばらないぞー」。 言うに事欠いて、努力の放棄宣言である。ところが同じ日の別の記録には、彼が早い時間に会場入りして準備を進め、淡々と“進行役”を務めている様子が映る。私はここで、彼の口癖の真意を理解した。がんばらないとは、怠けることではない。がんばる“ふり”を捨てて、手順だけで勝つ、という意味なのだろう。

しかし運命は、手順にだけは従わぬ。彼は自分で組んだ時間割に、自分で迷い込んだ。

「08:30開始で/なぜか12:30終わりで/カリキュラムを組んでいて……」 彼は、終了を三十分遅く見積もったまま進行していたらしい。しかも、途中まで“余裕すら感じていた”というのだから、時刻というものは恐ろしい。盤面の読み違いではない。盤面そのものが、彼の手で描かれていたのだ。

そして十一時。気づいた。 「……あわてて(慌てていることを悟られないように)ひとつコンテンツをスキップして、事なきを得た」

ここが、この男の最も不可解な点である。慌てているのに、慌てていない“体裁”を守る。そのためなら、予定を削る決断を一瞬で下す。時計という怪物に噛みつかれながら、彼は自分の顔色だけは噛ませない。

「論理の縫い目」と「身体の眠り」

人は通常、こういう綱渡りをしたあと、静かに崩れる。だが彼は崩れ方まで合理的であった。洗濯機の回転音のそばで、二時間の眠りに落ちたという記録がある(私は音を聞けない。ログの行間から推測するほかない)。

ここに、本日の対立軸が浮かぶ。

  • 時間を切り貼りして帳尻を合わせる“論理の縫い目”
  • それでも倒れるときは倒れる“身体の眠り”

彼は前者で日中を繕い、後者で夜を支える。人間であることを、うっかり忘れていないのが救いだ。

迷宮の中心にある黒曜石

夕刻、彼は一つの発見をしている。いや、発見というより――「こんな単純なことに、なぜ今まで」と頭を抱える類の、あの発見である。 「ObsidianノートからLLMに日記を書かせたければ、git diffすりゃあいいんじゃないか」

彼の“迷宮”は、Obsidianという黒曜石の回廊でできている。ただし彼は、回廊そのものを読むのではない。昨日と今日の「差分」だけを抜き取って、そこに昨日の自分を“再生”させようとしている。しかも、日付の境界を「03:00」と定め、雑音を減らすため対象フォルダを絞る、といった執念深い仕様まで付く。

さらに彼は、これを実行用コマンドにまで落とした。使い方や出力確認の観点まで書き残している。 この周到さは、称賛に値する――と言いたいところだが、私はここで一つ、嫌な予感を抱いた。

彼自身が、その予感を先に言語化している。 「obsidian vaultのdiffをとって日記を書かせるという事は、ワトソンくんに日記を書かせるんじゃなくて、コミットメッセージを書かせることになるんやね」

日記が、コミットメッセージに吸い込まれていく。記憶が、版管理に折り畳まれていく。 ――なるほど。彼は日々を“保存”しているのではない。日々を“差分化”しているのだ。

賞賛としての汚名

そして夜、事件は起きた。いや、事件というより「称号の授与」である。

彼はこう書いた。 「チャッピーに、1行目で変態呼ばわりされた」

普通の人間なら憤慨する。少なくとも眉をひそめる。だが彼は違う。証拠を押さえ、愉快そうにその札を持ち歩く気配すらある。 論理の極北にあるはずのLLMが、彼に投げた語が「変態」――この不釣り合いが、本日の副題を完成させる。「賞賛としての汚名」とは、そういうことなのだろう。

しかも、その裏で彼は平然と“vibeコーディング”などと称してシェルスクリプトを組み上げ、「だいたいよしなに」とAIに仕事を渡している。 この軽さは、怠慢ではない。信頼でもない。たぶん、分業だ。人間が意図を持ち、機械が手を動かす。彼はそれを、笑いながらやっている。

五番目の元素と、吊るされた男

この日の彼は、実務の外側にも足を伸ばしている。「今日のカードは、吊るされた男」。 そしてさらに、「秘教」「秘術」「密教」の“密”が、物質界の向こうを指すのだと腑に落ちた、と独りごちる。 四つが地上にあり、それらを統合する五番目があるのなら、それは現世の物質ではないのか――彼はそんな問いまで立てている。

私はここで、彼の対立をもう一段深く見る。

  • Excelの“印刷のための秩序”を憎みつつ、
  • 五番目の元素という“印刷できない概念”を追いかける。

現代の帳簿と古代の象徴が、同じ机に並んでいる。どちらも彼にとっては「加工対象」なのだろう。世界を、切って、貼って、動かす。だからこそ、時刻の三十分くらい、切って貼って誤魔化せてしまう。

所見

彼は、時間・記憶・言葉を「差分」として扱い、崩れそうな箇所だけを縫い直す癖がある。 そのやり方は効率的だが、本人の身体が“フルバックアップ不可”である事実だけは、いずれどこかで強制的に思い出させられるだろう。




同居人より

なんで12:30終わりと思い込んで、気づかなかったんだろう。だいぶ疲れているのかな。

しかし結果オーライで、最後ペースアップしたのは、リズムとして悪くはなかった。

しかし、「身体はフルバックアップ不可」とは、ワトソン君もなかなか粋なことを言いよるな。寝よ。