家で話をしていて、俺ら以上の世代の、とくに女性は
「メールを書くのは平気だけど、ブログを書くっていうのは
感覚的に、ちがうって感じなんだよな」という話になった。
メール書くのも、ブログ書くのも、ついったーするのも、
キーボード(携帯かもしれないけど)打ってるだけなので
「作業の外面はいっしょ」なんだけど、
感覚が違うんだそうで。
へー。
と思いましたですよ。
われわれってば、ちょうどデジタルネイティブといわれる
世代よりちょっと上。ほんのちょっとですが。(ここ強調)
多くの人は、学生時代にパソコンを使わずに卒業。
卒業しても、会社ではまだワープロが幅を利かせていたころ。
ぼく個人的には、はじめてプログラムを打ち込んだのが
幼稚園のときで、学生時代はノートとりながら常々
「コンピュータで書けるようになったら、
消しゴムで字を消すとかしなくてよくなるのに」
と思っていたし、
大学院生活がながくて、ここはワークステーション天国
だったので、まあ、多少はデジタルネイティブのひとたちと
感覚が近いのかもしれない。
デジタルネイティブのひととあまり話をしたことが
ないので、自信ないですけど。
そんな話をしていて、じゃあ、じぶんが何かを
ブログやついったーで書くって、
なんで書いてるんだろうな?
とゆうのがとても不思議におもえてきました。
自問自答、してみよう。
-
-
-
-
- -
-
-
-
■書くのが好きだから?
そうでもないと思うんだなあ。
嫌いではないけれども、とくに好きかと言われると困る。
暇があれば書きたくなるのか?
とゆうとそんなことはなくて、
かえって、暇なら書かない自分をさいきん発見したです。
■じゃあどういうときに書くの?
っていうと、プライベートと仕事の切替のタイミングなんだよねえ。
平日は家に帰らずに仕事をして、
週末かえって、家庭生活らしきものを営み、
また、日曜の夜に仕事に出る……。
この「日曜の夜」にだいたいにおいて、書くんですねえ。
そう思うと、プライベートをいったん清算して、
リセットして仕事に向かいたいんですかねえ、自分は。
■書いているときになにを感じているの?
「書いたら忘れられる」かなあ。
ローカル(PCのハードディスク)に書いておいても
いいんだけれども、どっかにやってなくしてしまいそう
なんだよなあ。
ネットワーク上においておいたら、
バックアップは、ブログサービス側がかってにやってくれるし、
ストレージ残容量について気にしなくてもいいし、
ファイルをどこにおいておくのか覚えておかなくていいし、
検索はグーグルでもブログサービスでもひっかかるし、
PCなくても携帯やiPhoneで参照できるし。
自分の料理のレシピや記録を
ネットワーク上においておいたら、
スーパーに行ってからでも検索できるし。
そういうあれやこれや、よしなしごとを、
「覚えておかなくていい」のが嬉しいのかなあ。
書いた内容も覚えていなくていいし、
どこにおいたか覚えておかなくていいし。
なんか、ほんと、忘れるために書いているような気がする。
-
-
-
-
- -
-
-
-
■なんか、もうちょっと前向きな感じの動機はないんですか?
ない。
うそうそ。
もういっこ、自分なりに便利なのは、読書録、映画とか視聴録。
ほぼ日手帳の奥付にも記録用紙あるし、
かつてはPCのエクセルファイルに記録してたこともあるし、
いろんな方法があると思うんだけれども、
もう3年ぐらいかな、目録を残すのにすっごく便利。
あ、これはブログの話ですね。
本については毎年、何冊読むと数値目標をおいているので、
その進捗を把握できるのも便利。
はてなダイアリーだと、アマゾンへのリンクをつくって、
サムネイル画像をとってこさせるのも簡単なので、とても便利。
■その読書録とか、何の役に立つんですか?
まずは冊数を数えること。
何を読んだか、あとで分かること。
誰か(仕事上のチームスタッフ)に紹介するとき、
アマゾンのページをはやく見つけられること。
むかしはまじめに感想とかメモしてたけど、
そういうのもあんまり自分的には必要ではないのでやめて
しまいました。
ごくまれに、年に1回ぐらい、すっごい良い本があって、
引用したくなることもあります。
でも年に1回か2回だな。
誰かに紹介しようとかいう気もないので、
ほんと題名と著者名ぐらいしか書かない。
ミクシィにかってにリンク張られるので、
マイミクのひとは、じゃかじゃか日記が
書かれるように見えて、いい迷惑じゃないかと
いう気がしますが、
さいきんは日記タイトルの非表示とかあるし、
適当にブロックしてくれてるかなとおもって
他人のめいわくは考えないことに、してまする。
■誰も読まなくて良いと?
ほんと、誰も読まなくても、いいんだよねえ。
ちょっと読んでほしい、みたいな気持ちもじつは
あるけど、
「ちょっと読んでほしい」気持ちも捨てたい、
という。
ブログをつかって、自分を売り込みたい、って人は
いろいろ考えるべきなんだろうけども、
わたしゃ自分のために、しかも自分が忘れるために、
書いているので、極論をいうと、誰も読んでなくて
いいんだよねえ。
もしかしたら、だれか読んでるのかもしれない、
ぐらいの感じが、すごくいい感じ。
だからアクセスログもとらないし、
コメントリストも非表示で、
たぶんコメントがついてもしばらく気づかない
(あるいはずっと気づかない)。
正確には、いちおう気になるから、
スターがついてるかな。コメントついてるかな。
ってチェックするんだけど、
そんなチェックしているじぶんが嫌いだ。
みたいな。
いろんな執着を、捨てたいよねえ。
■で、ついったーはどうですか?
「さらに誰も見ていない」感じがいい。
とてもいい。
書ける量が少ないので、初動イナーシャが低い。
誰かに見られているという感じも少ないので、さらに
初動イナーシャが低い。
頭によぎるよしなしごとを、メモしておくのに凄くいい。
「忘れるために書く」のに、すごくいいかも。
じぶんのなかでの使い分けてきには、
・読書録、映画視聴録はブログ(外部ストレージ)に
・プライベートで、記録しておきたいことはブログに
・ジャストアイディア、おもいつきベースはついったーに
みたいになるのかなという気がしてます。
ま、ついったーがどっち方向に進化するか
よくわかんないので、進化の方向にもよります。
-
-
-
- -
-
-
■最初のお題に戻ります、メール書くのと違うんですかね?
旧人類(失礼)的には、
・メールを書くのは、相手もはっきりしているし、
相手以外に読まれないから書きやすい
・ブログとか、誰に書いているかわかんないし、
原理上は、誰でも読めるので、なんか気持ち悪い
んだそうです。
これは感覚的な話なのでなかなか説明しづらいし、
じぶんでもよくわかんないんだけれども。
自分的には、メールめんどくせ。
なんだよなあ。
■それはなんでなんですかね?
なんでなんでしょうね?
とひとりでオウム返しをやっていても馬鹿みたいだ。
たぶん、誰かに書いているんじゃないからなんだろうな。
誰かに書くのって、めんどうくさいんだろうな。
じゃあ誰に向かって書いてるの?って、
あの、未来の自分なんだよねえ。
想定している読者が。
だからなにを書くにせよ、細かい文脈や説明もなくていいし、
読書録の感想もなくていいし。
未来の自分が、思い出せなければ、
それはきっと思い出さなくていいことだから、それでいいやと。
はてなの田中慎樹さんが「ブログを書くといいことあるなあ」
http://d.hatena.ne.jp/mitsuki/20090924/1253794796
で「インターネットは知恵を預けると利子をつけて返してくれる銀行のようなものだ」と
書いていて、
「それはもともと言ってることと違うんちゃうの」と
ツッコミたくなるわけですが、
でも、
よくよく考え直してみると、慎樹さんが言ってることのほうが正しくて、
書けば、自分の頭が一番整理される、んだよね。
あるいは整理されなくても、
自分の頭が情報をかってに集めてくる、んだよね。
ブログとかついったーに、書こうと思っているだけで、
それなりに自問自答するから、自分に対して
フィードバックをかけるし、
いっかい書いたら、「それほんまかいな」と
自問自答を(潜在意識下で)続けるし、
まるっきり忘れても、
いつの日か、じぶんでじぶんの書いたことを目にして
思い出すかもしれないし。
-
-
-
- -
-
-
■そろそろ結論じみたことをお願いしますよ
プロのコンサルタントとして「つらつら書き」という
やりかたを愛用しておりまして。
まあ、困ったら、とにかくなんでも、
思いつくまま、テキストエディタに入れてみなさいと。
ひとりブレストみたいなことをしてみなさいと。
ということを敬愛する先輩に教えていただきました。
ほれ、いちおう現場責任者ですから、
困ったら自力で解決しなければならず、
かつ、たいていの場合において、他人の助力を期待できないと。
(ヘルプを求めている時間がないことだって、よくあるのです)
一晩、あるいは週末で答えを出さないといけないとき、
「つらつら書き」をすれば、
まあだいたいはなんとか出来るわけです。
ま、腐っても鯛、腐ってもプロですし。
ま、たかがビジネスですし。
プライベートであったり、個人的なことのほうが
じつは難易度が高くて、
だから「つらつら書き」的手法を、
個人的なことがらに対して、やりたいと思ってるのかなーと。
私による、私のための、私に属する、問題解決手法として、
ブログやついったーとかの、ハイテクっぽい技術があると。
つらつら書いていたら、そんなかんじの結論にきました。