虎(牛)龍未酉2.1

記録帳|+n年後のジブンが思い出せますように……

004:医者のありがたみ

企業変革はともかく、医療機関・教育機関・独立行政法人の改革をやれと言われたら、やだなあと思ってる。あ、新聞もやだな。理由はよくわからないけど嫌だから、見てみないふり、そしらぬふりをしてやり過ごしてきたのだけれども、ようやくこういうことかというのが自分のなかでわかってきた。キャッチーなイントロ、読ませるを書けるほど整理整頓できてないので、ともかくどういうふうに考えているのかツラツラ核。もとい書く。
たとえば医療機関の改革について考えると、相当やりたくない。だって「原理的に崩壊しているシステム」なんだから、ちょっと手を入れてなんとかなるというレベルに来ていないと思うからだ。どう崩壊しているのか、あまりにも崩壊しすぎていて、整理して考えたことさえもないのだけれども、思いつく限りに書くと、まず医療保険でよろしいのですかね、7割ぐらい補填してくれるやつ。あれもインプットとアウトプットがバランスさせられてない。そもそもの設定価格が高いのかもしれないけど、価格の妥当性もわからない。製薬会社のプライシングも謎。しかも知人・友人の医者をみていて、勤務医では儲かっているように思えない。開業医だと儲かってるのかもしれないけど生活が保てるとは思えない。欧米の製薬会社が搾取しているのだ、とかいろいろ言う人はいるしいるんだろうけど、感じるのは「そういう次元ではなく、根本的に成り立ってないな」という感じ。きちんと説明せよと言われると、まだ困っちゃうんだけど。
「原理的に崩壊しているシステム」であることを前提として、わたしの仕事上おそらくある組織を対象に変革を行うというのは相当荷が重い。やれと言われればプロだからやるしやれるんだけど、荷が重い。やらずに済むならやりたくない。
とか思っていたら、とある企業の一部門が病院のコンサルティングセクションを立上げ、わりと規模も大きく発展しているのだということを聞き、ほうほうそうなのか。やりようはあるのかなあ。とぼやーっと思っていたのだけれども、どうも違和感を感じるのでつらつら諸事を考え直してみると、やっぱりそういうコトではないと思うのだ。そういうコトではない。
医療を医療たらしめている根本原理は何か。贈与性と非対称性である。(と断言だけして、この部分の説明を省いて先に進む)
医療が医療足り得なくなったのは何故か。贈与性と非対称性が支配する世界まで、交換性と対称性でやれる、と仮定してしまったからである。
そう思うと、構造改革により医療が崩壊したのは当たり前であったのだ。非対称性により医者がえらかったのに、なぜだかそれはスキルが高いからえらいと勘違いしてしまい、高いスキルを持つがゆえに高給をとってよし、ということになってしまっていたのが間違いの始まりだったのだ。非対称性について自覚的でなかったことによる破壊量は相当に大きい。
そんなことを思うと、「医者と弁護士」が並んで語られること自体がおかしかったのだ。わたしより上の世代はどうかしらないけど、わたしの世代だと、金持ちになれる代表格は「医者か弁護士」であった。企業家は別として。そして医者や弁護士がなぜ高給を取れるかというと、高度な専門知識とスキルを持ち合わせているから専門家として高いお給料をもらえるのだという理解をさせられていた。あるいは大きくなってからは、市場価値の希少性から説明されたような気もする。
それがそもそも間違ってたのだ。弁護士は、本当は対称な世界なのに、いろいろなバリアを張り巡らせることで非対称性を人工的に生み出し、非対称性対称性のはざまのところを付加価値と呼んで稼ぐのが仕事である。善し悪しではなく、それが仕事の本質だ。整理のためにもう一回繰り返してみよ。非対称を演出しているけど、あくまでもそれは対称性の世界でのできごとなのだ。
一方で、医者は非対称な世界に生きている。原理的に、非対称性に支配されている世界なのだ。ここは妄想だけどおそらく軍医が必要で、軍医を産み出すための釣書として「稼げる」というのがあって、高め高めにプライシングし続けていたら、人口増と医者増のバランスが取れなくなって、単に需要と供給バランスが崩れたゆえにコストアップし(医者がお金を手にし)た。希少性といえば希少性なんだけど、希少性じゃないよね。なんのこっちゃ。その過程において、専門性が高いゆえに偉いのではなく、贈与者として絶対エライのだという視点が抜け落ちてしまったのが不幸その1。スキルが高いゆえに高給取りであったのではなく、需要と供給バランスでたまたまプライシングが高いのだということを認識しきれなかったのが不幸その2。
対称性に着目すると、看護婦さんがなぜ医者に惚れるかというのもよくわかってしまうのである。「医者なんかろくなもんじゃない」と周囲がどれだけ騒ぎ立てても、やはり看護婦さんはお医者さんと結婚してしまうのだ。お医者さんが非対称性に無自覚である以上。それが幸福な結婚なのかどうかはサンプルが周囲にないので不明。でも前提が前提だけに結論は見えているような気がする。
いったいこの話はどこに向かっていくのだろう。思い出した。医療の世界に非対称性を自覚的に取り戻すことが、現在的な課題である。そして結論だけは出てるのだけれど、非対称性の世界の知見を、対称性の世界に持ち込むことが、われわれの世代的課題なのだ。だから、今それやってることに違和感をかんじるなら、やめといたほうがいいよーってこと。違和感をかんじないことを、突き詰めていくと良いんじゃないかなと。
もう一回結論だけ述べておこう。非対称性の世界の知見を、対称性の世界に持ち込むことが、われわれの「世代的課題」です。柔軟性によって変わるので多少幅はあるけど、概ね45才以下、35才以下ならまあだいたいヒット。ですかね。