虎(牛)龍未酉2.1

記録帳|+n年後のジブンが思い出せますように……

神戸の記憶を掘り起こす。ヘリコプターをまわせない自分が哀しい

地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また、被災された方々、そのご家族の方々には心よりお見舞いを申し上げます。
一日も早い復旧、復興をお祈りいたします。
 
すべての人が、すべての出来事から、あらゆる学びを得ますように。
 
神戸の記憶が、掘り起こされてきた。こんなことがなければ、封印されたままだったと思うのだけれども。
 
神戸には、震災後の10日目〜2週目ぐらいに入り、2〜3ヶ月、ボランティアとして入り込んでいた。
学生ボランティアだったので、プロとしての技量はなにもなかったわけだけれども、役に立たなかったとは思わない。ひとりの人間として、一定の貢献ができたと思う。
 
当初のミッションは、(当時としては)ITについて詳しい人間として現地に入り、神戸大学のインターネットを、震災復興支援として使えるのではないかという仮説の検証であった。1995年に、ウィンドウズ95が発売される前に見極めにいったのだから、早いほうでしょう?
当時、住吉までしか電車が通じていなくて、とにかく歩いて神戸大学のキャンパスに着いた。街を横断して、どんな状況になっているのか、ずっと見続けた。ずっと。
 
インターネットの復興支援について、結論としては、実用には使えない(時期尚早)という結論を1日で出し、次のミッションは、情報が分断された避難所間の協力体制の構築、であった。
前澤さんという先輩に導かれ、二人一組で行動していた。
今となれば、こうやって書いてみないと思い出せないのだけれども、当時には携帯電話さえなかったんですよね。「今後普及すると思われている最新テクノロジー」である貴重なPHSを2台借り、東灘区の避難所を手分けして片端から訪問した。(まさかPHSがテクノロジーとして無力化されるとは思いもしなかった)
 
避難所を訪問し、責任者、もしくはリーダーと対話し、何に困っているのかを聴き、何を支援できるのか聴き、融通できるものは相互融通できるようにネットワーク化を図った。
長期化する避難所に行き、疲れと、無神経な報道機関にイライラしているリーダーと話し、わたしが何かの役に立つ可能性を伝え、実際に何かの役に立って貢献を示し、なんども訪問し信頼関係を構築した。とにかく、「お前の言うことなら聞いてみよう」と思われることが重要だった。そして、全ての避難所についての状況を把握していることが重要だった(今思えば限られた把握方法であったが)。東灘区の、ほとんど全ての避難所を回ったと思う。
 
立場論でモノをいう人たちと交渉し、実際に役立つ解を探した。
大学が休みに入り、関東から次々と、バスに乗って学生ボランティアが到着した。
避難所生活が1ヶ月も続くと、避難所生活に対する「甘え」が出てくる状況も目の当たりにした。被害者であることほど、甘美な体験もないのだ。実際のところ。
 
甘えを排除し、現実に目を向けさせ、避難所生活から仮設住宅生活への移行期間にご一緒し、避難所のリーダー間の会合を設定し、わたしのボランティア活動は終了した。ボランティアに頼らず、現地の現場の人間が自立することが復興のカギだということを共通認識とし、ボランティアを引き上げさせることに協力した。
 
結局のところ、役に立てたのは、横の連携を強くさせられたことと、余計なボランティアを帰らせたことであったと思う。今振り返れば。
 
神戸の震災も、今回の震災と比べれば、なんと手ぬるかったことか。神戸は、今思えば、被害範囲が限定的であった。歩いて端から端まで行ける範囲だった。(実際、最初の頃は全部歩いていたのだ)
仙台から青森まで、なんと範囲の広いことか。
関西人は(わたしだけか?)、東京のすぐとなりは仙台で、すぐとなりに青森がある、ぐらいに思っているけれども、実際にクルマで走ってみたらひろいことひろいことひろいことひろいこと。
 
1995年と比べ、デジタルなネットワークがこれほど発達し、(電気さえ通れば)横の連携が(1995年に比べれば)容易になっている今、現地入りしたとしても、どんな付加価値が提供できるか想像できない。
おそらく、現場に行って、現場で考えなければわからないのだと、思う。
毎日、被災地から大阪に帰り、新聞とテレビを見て、どれだけ現場と乖離があるのかを実感した。
はっきり言って、現場の実感とシンクロすることが、ひとつ足りとも書かれていないのだ。ほんとに。
 
ほんとに、本心から、「うむ。わしのヘリコプターを10機ほど救援に回しなさい」と言えない自分が口惜しい。
 
せめて、被災しない地域にいる人間として、できることは、日常生活を淡々と営むことだと信じる。
飯を食って、寝て、仕事をして、コンサルタントとして付加価値を提供し、排泄して、西日本の経済活動を正常レベルに保つ。
自分ができることを、きちんと行うことが、復興支援だと信ずる。
 
すべての人が、すべての出来事から、あらゆる学びを得ますように。
May the force be with you. All of you.