【14B022】木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(増田俊也)★

 

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

 

 必読。

 

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Last annotated on April 2, 2014

木村先生はフィロソファーです。哲学の人でしたRead more at location 253   • Delete this highlight

Note: いや、この一言で、買って読まな、たまらんでしょ Edit

はたして木村政彦力道山を殺して切腹すべきだったのか……。その答は、私にも書き終わるまでわからない。Read more at location 398   • Delete this highlight

Note: 凄い Edit

しかし、これが創始者嘉納治五郎を焦らせた。そして「これは私の柔道ではない。当て身でみんなやられてしまう」という嘆きになって出たのである。Read more at location 499   • Delete this highlight

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嘉納は当て身なしの方向に進化していく講道館柔道に焦りに焦っていた。Read more at location 510   • Delete this highlight

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嘉納先生はオリンピックを日本で開催することに献身的に努力されたが、それでは柔道をオリンピックに参加させる意志があったかというと必ずしもそうではなかったRead more at location 534   • Delete this highlight

Note: 篠崎先生 Edit

「一日休むと田川先生に復讐するのが一日遅れる」Read more at location 823   • Delete this highlight

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京一商(旧制、現在の西京高校)Read more at location 902   • Delete this highlight

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柔は、あくまで武士が戦場で使う殺人技術だとしていたのである。Read more at location 1093   • Delete this highlight

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極限まで稽古すると隠されていた潜在能力が湧き出してきて再び立ち上がることができる――。これを牛島は「生の極限は死」「死の極限は生」であるとし、死の極限を乗り越えた先の生、すなわち「死の極限は生」を武道家の理想の境地とした。Read more at location 1107   • Delete this highlight

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得意冷然、失意泰然Read more at location 1221   • Delete this highlight

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今では七帝戦は他のスポーツも含めた総合体育大会になっているが、もともとは柔道を真似て他の運動部に徐々に広まり、それを統合したのが始まりだ。Read more at location 1665   • Delete this highlight

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北は北海道帝国大学予科から南は鹿児島の七高まで、そして講道館お膝元の東京の商大専門部(現在の一橋大学)や武徳会本部のある京都の三高まであまねく全国に広がっていった。Read more at location 1820   • Delete this highlight

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言い換えれば、阿部と野上の名前は柔道史から消えたが、そのDNAは立っても寝ても史上最強の柔道家木村政彦の中に脈々として残ったのである。Read more at location 1914   • Delete this highlight

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〝練習量がすべてを決定する柔道〟Read more at location 2003   • Delete this highlight

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高専柔道が開発した練習方法に〝飛行機〟と呼ばれるものがあった。いわゆる掛かり稽古、台稽古である。一人が前に立ち、それを相手に他の選手が交代で徹底的に乱取りを回し、ぎりぎりまで追い込む稽古だ。現在では全国の大学や高校がこの練習法を取り入れているが、これはもともと六高が始めたものであった。Read more at location 2009   • Delete this highlight

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木村政彦永野重雄(六高OB、元新日鐵会長)が骨折しながら片腕で高専大会を戦ったエピソードを自伝で紹介し、こう絶賛している。 《私は柔道のダイゴ味は、ここにあると思っている。ケガをしていたから負けたとか、コンディションが悪かったから敗れたなどという弁解は、一切無用なのである》(『鬼の柔道』)Read more at location 2034   • Delete this highlight

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この頃になると、木村にも牛島の言う「生の極限は死、死の極限は生」という言葉の意味がわかるようになっていたRead more at location 2401   • Delete this highlight

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リラックスし、必要以外は口もきかないRead more at location 2604   • Delete this highlight

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それから徹底的な掃除だRead more at location 2846   • Delete this highlight

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「一木一草にまで気を入れて掃除すること。些事への心遣いこそ修行だRead more at location 2846   • Delete this highlight

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「木村さん、逃げなさい!」  二人の性格を知る和香夫人が叫んで、牛島に体当たりしたRead more at location 2940   • Delete this highlight

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一流派の家元である講道館と競技スポーツ団体の統括組織である全柔連の役目は違うRead more at location 4403   • Delete this highlight

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そのためには〝柔道とはいったい何なのか〟ということを、柔道界全体でもう一度しっかりと考え直す時期にきていると思う。Read more at location 4411   • Delete this highlight

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この日本を救う唯一の途は、武道振興以外には全くない。Read more at location 5337   • Delete this highlight

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武道を見せ物興行としても、士魂を失わなければ、誰がなんと誹謗しようとも一片のやましさも感じない。俺は甘んじて昭和の榊原鍵吉や磯正智になろう――」Read more at location 5338   • Delete this highlight

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この異種格闘技戦の積み重ねが柔道を他国に広めていったのである。新しい格闘技を広めるには、実際に戦って勝ってみせるしか方法はなかった。Read more at location 5625   • Delete this highlight

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勝ち組につくのか負け組につくのか、それによって大きく部数が変わってくる。Read more at location 5930   • Delete this highlight

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敗戦を信じたくない日系人たちは、ブラジル人に蔑まれ、母国日本の強さの象徴である鬼の木村政彦を待っていた。Read more at location 6139   • Delete this highlight

Note: こんなことさえ知らなかったのだ Edit

だが、これらの木村のプロレス興行や柔道掛け試合を食い入るように見ている目付きの鋭いブラジル人がいた。エリオ・グレイシーである。Read more at location 6250   • Delete this highlight

Note: 2行で繋ぐ Edit

木村の態度からは微塵もそれが感じとれなかった。笑みを浮かべるわけでもなく、威圧もせず、嫌みもなかった。その堂々と男らしい態度に、木村政彦こそ本物の王者だと思った。Read more at location 7065   • Delete this highlight

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木村の生前の悪童ぶりについてよく思わない人もたくさんいるのはたしかである。しかし、木村が本物の優しさを持った偉大なる男だったこともまたたしかなのだ。Read more at location 7069   • Delete this highlight

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このシュライナース・クラブは、あの世界最大の秘密結社フリーメイソンの慈善団体である。日本のプロレス黎明期にフリーメイソンが関わっていたことはあまり知られていない。Read more at location 7571   • Delete this highlight

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戦時に東條内閣が行った情報統制のための新聞統合で全国に七百三十九社あった新聞社を五十四社にまとめてしまったのが原因だ(大阪毎日と東京日日の合併は戦時以前の商業統合)。Read more at location 8707   • Delete this highlight

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高専柔道人脈の視点から戦後の政財界史と柔道史を洗い直すと非常に面白い。Read more at location 8749   • Delete this highlight

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真偽を確かめるには、実際に十四連戦すべての一次資料を当たってみるしかない。  当時の一般紙、スポーツ紙、週刊誌などの資料と関係者の証言を付き合わせて一試合ずつ検証してみた。Read more at location 8968   • Delete this highlight

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ここまで書いて、私は迷っている。  ここから先、何をどう書いたらいいのかと。Read more at location 10006   • Delete this highlight

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しかし、しかしだ。それで木村は救われるのか。鬼と謳われた木村の魂は救われるのか。Read more at location 10040   • Delete this highlight

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木村政彦は、あの日、負けたのだ。  もう一度書く。  木村政彦は負けたのだ。Read more at location 10194   • Delete this highlight

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鬼の牛島と鬼の木村が揃って負けたと言う以上、誰が何を言えようか。Read more at location 10202   • Delete this highlight

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あの試合は鬼の師弟の〝魔の刻〟であった。生涯たった一度、鬼が二人ともに魔の刻に入ったのだ。Read more at location 10205   • Delete this highlight

Note: おうまがとき Edit

だが、世の中は武道家の論理で動いているわけではない。Read more at location 10267   • Delete this highlight

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「同じことを何度も聞くな。俺が一度言ったことは百回言われたことだと思いなさい。そうすれば一日を百日分に生かせるだろう」Read more at location 10896   • Delete this highlight

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この後、木村の「呼集」がかかることもよくあった。「どんな危急のときも武道家は対応できなければいけない。そのためにはこういった訓練が必要だ」というのが木村の持論だった。Read more at location 10947   • Delete this highlight

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「優勝おめでとう」  木村がグラスを上げた。Read more at location 11338   • Delete this highlight

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岩釣は控え室でも座禅を組み続けた。Read more at location 11408   • Delete this highlight

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攻めることこそ岩釣の、つまりは木村柔道の、牛島柔道の、鬼の柔道の神髄だった。Read more at location 11414   • Delete this highlight

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いつのまにか全員で合唱していた。年輩のOBのなかには、すでに泣いている者もいる。春の茗荷谷に拓大の応援歌がこだました。Read more at location 11426   • Delete this highlight

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毎日、体重は七キロ以上落ちた。Read more at location 11560   • Delete this highlight

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だからこそ自身を納得させる頸動脈という〝着地点〟が必要だったのだ。後の人生を生き続けるために。Read more at location 11702   • Delete this highlight

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強さに取り憑かれていた。そこから降りてくる算段を、あの力道山戦によって奪われてしまったのである。Read more at location 11998   • Delete this highlight

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いつものように二人で堤防を歩いていると、木村が「これでよかったよね」とぽつりと言った。見ると、木村は泣いていた。 「これでよかったよね……」  木村がまた言った。  涙は溢れ続け、頰を伝って落ちていく。Read more at location 12006   • Delete this highlight

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柔道は老荘の思想を強く受け継いだものである。Read more at location 12033   • Delete this highlight

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だからこの書を、牛島辰熊、木村政彦岩釣兼生力道山、昭和を駆け抜けた四人の怪物と、牛島和香、木村斗美、岩釣信子、田中敬子、平成のいまも一隅を照らしながら生き続ける四人の女神たちに捧げたい。Read more at location 12174   • Delete this highlight

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