虎(牛)龍未酉2.1

記録帳|+n年後のジブンが思い出せますように……

012:記憶力をつかわない(そのいくつか)

記憶力を使わない話を聞いてもらったら案外に変人扱いされて、憤慨したので追記する(ウソ)。じぶんにとってはわりと当たり前のことが、必ずしも当たり前ではないということを確認するために書いておいてみよう。
今回は、数学や物理の公式を覚えなかったのという話。
ともかく「記憶する」ことが嫌いで、よくわからんままとにかく暗記するというのをやりたくなかったわけですね、人生において。15歳前後の人生ですけれども。だから、高校生以降は、暗記の必要な教科はまず捨てた。志望校は決まっていて、センター試験では足切りにしか使われないこともわかっていたので、社会は早々に「倫理政経」に決定。1年間だけどうしても地理をやらないといけなくてほんと嫌だったけどそれだけ我慢してやった。日本史も世界史もパス。(それはそれで後年苦労することになるのだけれどもそれはまた別の話)
教科として記憶の割合の大きいものをとりのぞいたら、次はいかにそれぞれの教科内で記憶力を使わないかということになるわけで。英語についてまず記憶しない方法を編み出し、それから物理や数学の公式を覚えない方法を一所懸命考えた。国語は好きだし得意だったのであまり考えなくてよかった。
公式を覚えないっていったって、やりかたはすごく単純で、毎回はじめから導いていくの。気体分子運動論から圧力を求めるとか、重力の落下運動の位置と速度とか、sin(α+β)の展開とか、とにかくなんでも導いていくの。誰でもはじめに導くときはひと通り聞いて、その後は導き方は忘れて公式を覚える、というのが一般的なようですが、わたしは公式を忘れ導き方だけを覚えるというのを全部やっていたというわけ。問題集を解くときも、いちいち公式を導いていた。あろうことか試験中も公式を導いていた。
今でも忘れられないのが、数学の定期テストで、50分のテストのはじめに、sin(α+β)の展開とかひと通り公式を試験用紙の裏に書いて、さて問題を解こうと思ったらすでに25分が経過していたこと。あれは焦った。しかしそれでも平均点には届かないけど惨敗することはなく、余計に「これでなんとかなるものだ」と変な自信を得たのであった。
しかし今から思えば公式を覚えたくないって、よっぽど暗記が嫌いだったんだな。
こうやって「公式を覚えない」のは時間が経てば経つほど累積効果でトクするもので、運動論をひと通り一所懸命導いていたのが、微分積分を習った瞬間すべてが綺麗に紐解けていくさまは感動的なものがあった。数学や物理の天性の才能のある友人たちは、公式を覚えていても、微分積分との関係がするすると理解できるようであって大変に羨ましかったが、微分積分が出てくる以前にシャープペンシルの芯を使って使って使いまくり、身体に覚えこませていたわたしが微分積分と出会ったときの感動とは比べ物にならないに違いない。たぶん。どんな自慢や。
それに、よく「難しい問題」と言われるのは、公式を覚えていても解けない問題なのだけれども、公式をどうやって導くかがわかっていれば「難しくない問題」に変わっていくのだ、ということも追々わかっていくようになっていった。なので、問題が難しくなればなるほど、こちらにとっては(相対的に)簡単な問題に近づいてくるわけで、棚からぼた餅というか大変にラッキーなことであった。
今思えば、誤解を恐れずに言うとすれば、方法論なんてなんでも良いんだろうと思う。「記憶力を使わない」というのでも、それに徹底していればきっとそれで良いのだ。正確には「湯川秀樹か朝永振一郎の後継者になる」という遠い先の夢と、「でもおれは記憶力を使わない」という手元の判断軸があれば、方法論というのは向こうからやってくるのだ、と今になれば思える。ここからはさらに誤解されそうだが敢えて言い切ってしまうと、できなかったやつが先生になってるんだから先生のいう方法論なんて聞く必要はないのだ。自分で発見した方法論、道具が、結局のところもっとも強力な武器になるのだ。
プロの物理屋・数学屋になるには、公式が導けて、公式が覚えられる(しかもほぼ瞬時に)という才能が必要であったような気がする。あるいはそもそも公式とか使わない(使っても大変に少ない)ので、それをしつこく深堀りして考える腕前が必要であったような気がする。加えて愚鈍さとね。
愚鈍さは人後に落ちなかったが、残念なことに湯川秀樹や朝永振一郎の後継者にはなれなかった。それでも手元に得たものは、方法論レベルでもたくさんある。法則化できたこともいくつかある。たとえば「勉強できるやつは勉強法を勉強している」というのも発見した法則のひとつだった。しかも「勉強できないやつは勉強法を勉強しない」というのもセットなので、ゆえにできるやつとできないやつの差は開いていくばかり、という結論が導かれていく。逆に「勉強法を勉強すれば勉強できるようになっていく」という結論も自然に導かれていく。あるいは「勉強できないのは方法論が間違っているのだよ」というのもかなり正しい。さらには「勉強」を「読書」や「システムエンジニア」「プログラミング」「仕事」に置き換えてもおおむね正しいという大変に応用範囲の広い法則なのだ。
今回は記憶力を使わない、っていうことについて共通体験の多い受験勉強で書いてみたけど、わたしは29才までほとんど使わずに生きていたので、受験勉強以外にも応用できることもいろいろあるんだと思う。
また横道が長くなってしまった。後継者にはなれなかったが、後悔しているどころか大変に愉快に人生を送っているし、湯川先生や朝永先生がみた「世界でおれだけがこの道の先頭を歩んでいるのだ」という感覚を共にしているという意味では、あるいは「宇宙に衝撃を与えてやる」と本気で思っているという意味では、湯川・朝永両先生の弟子であるつもりなのだ。と大言壮語して年始の開幕宣言にしておこうっと。