【12B001】ウチダ式教育再生 街場の大学論(内田樹)

街場の大学論  ウチダ式教育再生 (角川文庫)

街場の大学論 ウチダ式教育再生 (角川文庫)


久々の大量抜き書き。これは大変におもしろかった。大学について考えるということは、会社にとって「タイムトラベルして未来を先に見ておく」ことであり、交換と贈与について問い直すことである、とわたしのなかでは結論づけた。
 

それぞれの大学が自らのミッションを明確にし、全体として力強い大学システムになることを願っている。同時に実学寄りの日本の大学風土のなかで、教養部教育とは違った方法でリベラルアーツを大学教育のコアに置き直すという地道な作業が求められているのでは。by杉野課長 (街場の大学論、内田樹
 
「どうしたら彼らを大人に育て上げることができるだろう」と考える人間と、「何人入学させるといくら納付金が入ってくるか」を考える人間では、考えていることが違うんです。 (街場の大学論、内田樹) ⇒そのあとも
 
大学の必要性を大学自身がきちんとアナウンスする。われわれはこのような教育をしており、これは日本という国にとって、国民全体にとって非常の有用、有益なんですということを言わなければならない。 (街場の大学論、内田樹
 
「大学の教職員も大学のミッションをどうやって社会に認知をしてもらい、大学の教育研究活動の継続をどのように理解してもらうか考えて頂かねば。」by杉野課長 (街場の大学論、内田樹
 
「無駄めし食い」をなんとか働かせる手間暇かけるくらいなら「無駄めし食い」を扶養できる人たちを支援する方がよっぽど合理的なんです。 (街場の大学論、内田樹) ⇒やっぱりタイムトラベル効果だなあ
 
フロントラインで働いている人たちが、いつもニコニコ笑い、高い自尊感情を維持できていることが組織のパフォーマンスを上げる最高の方法だと思う。いつもおどおど、査定を恐れ顔色伺うイエスマンだらけ、足を引っ張るやつばかり、それで高いPFを達成できるはずがない。 (街場の大学論、内田樹
 
「よく考えてみるとかつての帝国大学も各分野毎の分科大学の緩やかな集合体でしたし、オックスフォード、ケンブリッジだって一つ一つのカレッジの集合体ですから、『小商い』っていうのは、実は大学という生き物にとって大切な知恵なのかもしれません」by杉野課長 (街場の大学論、内田樹
 
「教育機関は生まれ方がとても大切。創設者がどういうミッション(建学の理念)を意識していたかが学校の将来に決定的な影響力を持つ。歪んだ生まれ方をするとまともに育たない。一方で生まれ方は間違いなくともミッションが曖昧になっていくケースが結構ある」by杉野課長 (街場の大学論、内田樹
 
高等教育での喫緊の問題は学生たちの学力低下だが、学生たちをどうやってまたもう一度知的活動へ動機づけてゆくかという問題は大学の統廃合とは次元の違う問題である。(街場の大学論、内田樹
 
大学および教育のことを考える意義は、タイムトラベル効果と、交換と贈与の関係を見直すことの2点にある。2軸を混ぜてしまわないように留意すること
 
「つまり大学の経営者というのは全体の状況が厳しいということはわかっているのだけれど、厳しいからどうするかというと『拡張だ!』になる。18歳人口は減ってみんな苦しくなっているときに『わが社は拡張だ!』という路線にみんなが向かっている」by杉野課長 (街場の大学論、内田樹
 
「大学の先生が学力低下を嘆いて学習指導要領やゆとり教育のせいだと言うけれど僕はそれは違うと思う(中略)子供の数が半分になってるのに大学の入学定員はいまだ増え続けているからですね。これが最大の原因だと思います。でも誰もそんなことは話題にしない」by杉野課長 (街場の大学論、内田樹
 
「その政治運動が没落したときに見捨てない人間がいる」という未来の事実が、現在のその政治運動の質を担保するのである。 (街場の大学論、内田樹) ⇒政治運動のみならず
 
話がくどいというのは、贈り物の手づくりのケーキに添えて、材料費のレシートとちらかった台所のポラロイド写真を差し出すようなものだ。それがどれくらい「はしたない」ことか君にでもわかるだろう?(街場の大学論、内田樹
 
え。二千字ぐらいのペーパーでいいんだ。二千枚かと思った。先行研究は2点で良いんだ。200点かと思った。
 
「現在のわたし」から「未来のわたし」へ贈り物をしているのは、一体何に相当するのだろうか?ソーシャルメディアって贈与性がうまく機能しているだろうか?
 
贈与なんです、学術性の本質は。あなたがこれから書くのは「未来のあなた」から「現在のあなた」への贈り物になるようなものでなければならないのです。それが学術的知性のもっとも生成的な働きです。知性の本質はそういうふうに時間を「フライング」することだからです。 (街場の大学論、内田樹
 
ブレークスルーとは「脱皮=成熟」ということだからである。一度でも脱皮=成熟を経験したことのあるものはそれが「どういうこと」であるかを知っている。経験したことのないものにかその感覚がわからない。知的枠組みの解体再構築を喜ぶのは単に「それが楽しいから」である。(街場の大学論、内田樹
 
見るべきは大学でその知識情報を身につけるときどのようなブレークスルーを経験したかである。その学生が中高校生の時に設定した知的枠組みを壊されることなく無傷で大学四年間を過ごしてきたとしたらどの様な仕事であれ(ビジネスであれ学問研究であれ)適性を欠いている。(街場の大学論、内田樹
 
大学院の面接も私がビジネスマンだった場合にその学生が「新入社員」として使えるかどうかを基準に査定している。「使える」というのは何か特殊な才能や技術を「すでに」有しているということではない。「まだ知らないこと」を「すぐに習得する」ことができるかどうかである。(街場の大学論、内田樹
 
不人情の説明を読んで、あなたのことが一番に思い浮かんだ、とコメントされるのは幸福なことか、不幸なことか、ネタになって笑えることか。
 
「非人情」は「不人情」とは違う。不人情は他人の人情がわかった上でそれを無視する人間のことである。非人情とは他人の人情をそもそも自分の行動決定の初期条件にカウントしない人間のことである。他人が自分をどう思っているかという事は非人情な人間の思考の主題にならない(街場の大学論、内田樹
 
不快感の同定に対するコミュニケーションの成立がもたらす快楽はしばしば症状の消失がもたらす快感を上回る。くだらない話を聞いて内心憤然としているとき横の人がぼそっと「くだらねえなあ」と呟いてくれた時の共感がもたらす快が、話を聞く不快を上回る事があるのに似ている(街場の大学論、内田樹
 
「なんてひどい歯なんでしょう。これじゃあなたも大変ですよね。気の毒に…」といってあげれば患者は「歯の悪行」を逐一報告すべく、医者のもとにいそいそと通うことを厭わなくなる。 (街場の大学論、内田樹
 
すぐれた医者は決して患者を責めない。患者が嬉々として医者のところに繰り返し通うように仕向けるのが名医である。敢えて歯のせいにし患者を免罪にするのが呪術医の骨法である。患部をワルモノにし患者と医者が歯を責めるという話法は治療の方法として大変に効率的なのである(街場の大学論、内田樹
 
あえて一般論にまとめると「創意」のあるところに道は開け、「模倣」するものに未来はない、というのが私の総括的印象であった。 (街場の大学論、内田樹
 
その起源から「あれ…お呼びでない?」的な立ち位置こそが神戸女学院のエコロジカルニッチであると私は思う。そのようなポジションにあるときにこそ「本来のポテンシャル」をぐいぐいと発揮するのである。高等教育の本義とはその都度「場違い」であることに存するのではないか(街場の大学論、内田樹
 
本学の最大の魅力は、開学以来一度としてその時代のドミナントなイデオロギーと親和したことがないというその「場違い」性にある。百三十年前太平洋を渡ってきて私塾を開設した二人のアメリカ人女声宣教師は明らかに「場違いな」存在であった。 (街場の大学論、内田樹
 
「向上心は必ずしも人を幸福にしない」。幸福の秘訣は「小さくても、確実な、幸福」(村上春樹)をもたらすものについてのリストをどれだけ長いものにできるか、にかかっている。 (街場の大学論、内田樹
 
大学と会社のタイムラグはおよそ8年(プロフェッショナルファームの場合)
 
現在の学力知力がいくら低くても、学生の知的ポテンシャルの開花に有り金をかけることのできる教育機関だけが、教育的に機能する、と私は信じている。 (街場の大学論、内田樹
 
人は自分を「見下している」人間から何か「善きもの」を教わることはできない。 (街場の大学論、内田樹
 
状況がじたばたしてきたときにふだん通りのことをするためには、状況と一緒にじたばたするよりもはるかに多くの配慮と節度と感受性が必要だからである。人間はそのような能力を点検し磨き上げるために危機的な状況をむしろ積極的に利用してきたのである。 (街場の大学論、内田樹
 
「おっと、こうしちゃいられない」地獄への道はこの言葉によって舗装されている。みんなそうつぶやきながら破滅への道を疾走していった。古来、胆力のある人間は危機に臨んだ時、まず「ふだん通りのこと」ができるかどうかを自己点検した。ご飯を食べるとか、昼寝をするとか。(街場の大学論、内田樹
 
聴き手に対する敬意=メディアリテラシー=情報評価能力⇒自分がいま発信しつつある情報にたいして適切な評価を下せるかどうか。自分が発した言葉が自分の思考や感性を呪縛する力の強さを侮ってはいけない。(街場の大学論、内田樹
 
そのとき私は「こうやって勉強していればいつか『いいこと』がある」という未来予測の確かさに支えられて勉強していたわけではなく、「こうしてばりばり勉強できるという『いいこと』が経験できるのは今だけかもしれない」という未来予測の不透明性故に勉強していたのである (街場の大学論、内田樹
 
学習を動機づける人間的ファクターの中には「努力に対する将来的リターン」の期待だけではなく、「努力そのものから得られる知的享楽」も含まれる。たぶんいまの学校教育でいちばん言及されないことの一つが「学ぶことそれ自体がもたらす快楽」だということである。(街場の大学論、内田樹
 
FDの課題その1:教育スキルの最低水準のクリア その2:現状の知的ニーズに応える「学習の場」の立上げ 矛盾する2つのモメントその1:教員を日に当てマーケットでの流通価値を査定する その2:斉一的な査定に馴染まない真にオリジナルなものの存在権を保証する (街場の大学論、内田樹
 
個性とは個性を頭ごなしに圧殺する環境にあって、それにもかかわらず、どうしても際立ってしまうというかたちで発現するものなのである。簡単につぶされるような個性は、もとから個性と呼ぶに値しない (街場の大学論、内田樹
 
社会の変化は「同時多発的」であり、ぜんぜん関連のない領域に「ぼこ、ぼこ」と発現する。ひとつの地殻変動が複数の徴候を示すことがある。だから「〜」という言い方はできるだけ自制したほうがいいと思う。 (街場の大学論、内田樹
 
おそらく太宰は、言葉は身体を通過することでしかある種の説得力を獲得できない、ということを知っていたのである。 (街場の大学論、内田樹) ⇒ジョブズのプレゼンをこの切り口で語っている人はみたことないな
 
言葉は身体というフィルターを通過すると、深みと陰影と立体感を帯びる。(街場の大学論、内田樹) ⇒ 不準備の準備。プレゼンの練習の方法(やるなら覚えるまでやる、やりながら忘れる)
 
廃県置藩は私の年来の持論である。(街場の大学論、内田樹
 
親や教育者自身が「みんなと同じであること」にはたいした意味がない、ということを身を以て子どもに示すしかない。もちろん「たいして意味がない」だけであって「まったく意味がない」わけではない。(街場の大学論、内田樹
 
学ぶ=自分の知識についての知識を持つ≒知識をふやす
 
世界史とナショナリズム(街場の大学論、内田樹)⇒知的怠惰とも、政治家志望とも
 
自己決定、自己責任⇒総6歳児化(街場の大学論、内田樹
 
学力低下から現に利益を得ている(街場の大学論、内田樹

 

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