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006:中間者の歴史

草子

今日の生煮え草子。
ふと思ったんだけれども、現在って、中間な状態っていうのが少なくなりすぎてるんじゃないかなあとかいうことをツラツラ思い、だからこそいろんなことがキツいんじゃないのかなあということを想像した。
たとえば、わたくしの私淑する河合隼雄さんが、なんかのエッセイで、「家の中でたとえばモノがなくなった、見つからなくなったときに、『小人さんが隠した』という物語があれば救われるのに。冷蔵庫でさっきは何かが見つからない、今度は見つかったりしたときに、冷蔵庫の精みたいなものがイタズラしたことにしとけばいいのに」的なことを書かれていた。すっごく記憶が曖昧なのでぜんぜん違う喩えを使われていたかもしれないけど。ともかくメッセージは、「ものごとの白黒をハッキリさせないことの効用と、白黒はっきりさせない装置としてのものがたり」であった(と思う)。
社内改革をやろうとするとどれくらい難しいかというのを最近大変に痛感しているのですけれども、それって要するに内部の人間って難しいんですよね。かといって、外部の人間であっても難しい。中間者、つまり曖昧な存在が変革を引き起こしうる唯一の立ち位置なのではないかということを思ったりするのであります。そういえばコンサルタントになりたてのころ、当時もっとも勢いのあった先輩コンサルタントと一緒に仕事をしていて、さらっと「おめーアタマ固てぇなあ」と言われたのが大変に印象的で、「そりゃああんたが柔らかすぎるんだよ」と内心思ったのだけれども気が弱いのでまさかそうとも言い返さずにいたのですけれども(言い返さなくて良かった)。なににいちばんびっくりしたかというと、軸がなくても捌けるということなのでしたのよね。どうも私は出自がやはり理系、物理屋さんなので、デカルトの直系ですから、x軸、y軸、z軸、t軸みたいなのが見えないと気持ち悪くてしょうがないわけですよ。直交系のベクトル空間がないとどうもうまく物ごとが捉えられない。でもホンモノの変革エージェントって、軸が変幻自在なんですよね。そして、これは事後的に、経験的に思うのだけれども、とびきり優秀な営業マン、とびきり優秀な経営企画、とびきり素晴らしい経営陣って、ある意味変幻自在の要素を持ってるんですよね。すごく数は限られますが。
そういう「曖昧なものへの対処能力」とか「曖昧なものを抱えておけるキャパシティ」とかが、ビジネスパーソンにとってももっともっと実は必要な気がする。
それから、そもそも曖昧なものって、昔の日本(あるいは昔の世界中)にいろいろあったはずなのに、そういうのって捨て去られすぎてるんじゃないのかなあという気がした。人間と自然の間には、幽霊がいたり化けだぬきがいたり。この世とあの世の間には、仏さんがいたり神さんがいたり、坊さんがいたり神主さんがいたり。家族のなかにも、家族だか家族じゃないのかわからない居候さんがいたり、おじいちゃんおばあちゃんがいたり。中間的な場所としての茶室もあったのかもしれない。松岡正剛さんなら「闇」「毒」「悪」がなくなったのだと仰るかもしれない。陰と中間の関係は正直まだわからない。けれども、曖昧なもの、中間のもの、縁にあるもの、の欠落が現代的問題の大きな要因のひとつではないかというようなことを思ったりする。
まあわれわれは自覚もせずに51番目の州をやり続けるという、大変に中間的な精神構造、立ち位置を抱えられる稀有なポジションにいるので、このまま「中間者」としての道を突っ走っていけば全地球に対して付加価値を生めるんじゃねえのとかそういう乱暴なことを思ったり。そういうことをツラツラ考えつつ、ぜひ中間者の歴史、中間者の果たしてきた役割の履歴なんかを解きほぐしていけると、混乱期をサバイブするための智慧が見つかるんじゃないのかなあということを直観したりした。
 

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