清風荘および保眞斎

中の山居。

自動車が自転車が人が行き交い、立て看板が大声を上げる百万遍。バス停にバスがとまれば、たくさんの人が吐き出され、そしてまた吸い込まれていく。毎月15日には知恩寺で手づくり市が開かれ、京阪出町柳駅から百万遍に向けて人ひとひと人ひと。違法駐車の車両車両車両。
斯様に毎日多くの人が百万遍を過ぎていくが、なんとも言えず長く続く生垣が気になる人は少ない。生垣が気になっている人でも、その中に何があるのかを知っている人は少ない。

西側の入口をくぐり、庭園へつづく中門をくぐり、薄暗い林を抜ければ広がるのは、まさに市中の山居。いや、市中の大庭園。だれもまさかこれほど広い庭園が百万遍に隣接しているとは思うまい。琵琶湖を模した池をぐるりと一周、回遊してみても、石を投げれば届くほどの距離に今出川通りがあるとは思えない。街中に突如現れた大自然。

 
パノラマ写真 ⇒ 清風荘のお庭 - Photosynth
 

ここはもとは西園寺公望別邸。西園寺公望は京の山城国に生を受け、政治家としては第12/14代内閣総理大臣、第7代文部大臣、第9/10代外務大臣、第10代文部大臣を歴任。教育者としては明治2年にすでに立命館大学の前身を創設しいまなお立命館学園の学祖である。そして、明治30年には東京帝国大学と相呼応する「京都帝国大学」を誘致・設置した。京都大学ににらみを効かせる地に静かに眠っているのも納得。

庭園の南西の一角には苔生した庭園と茶室「保眞斎」が静かに眠る。かつては茶室「群」があったそうだが、いまは面影を残すのみ。織部燈籠が静かに来客を待っている。

 
パノラマ写真 ⇒ 清風荘の茶室 - Photosynth
 

大座敷の縁側に座ると、真正面に大文字山が見える。

ミルフィーユのように積み重なる京都の歴史。近代以前と近代以降がここで静かに交わり、また放たれていく。もういちど百万遍の交差点に立つ。わたしはどちらに向かって一歩を踏み出せばいいのだろうか?

広告を非表示にする