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002:受け皿としてのチーム

草子

任天堂の定点観測から得たこと。誰が言ってたのか、岩田社長が言っていたのか、宮本専務が言っていたのか思い出せないのだけれども、「週末におもしろいことを思いついたら、週明けに話したくて話したくてしようがないんですよね」「そうそうお互いにそうだよね」というやり取りがあって。あれが任天堂の本当の強さだと思うんですヨ。
ブルーオーシャン戦略が華やかなりしころは、著者が「これこそがブルーオーシャン戦略の好例だ」的な言い方をしていて、そりゃあねえだろうとわたしは思った。だから敢えて任天堂のケーススタディを作って、本当にブルーオーシャン戦略で任天堂のイノベーションは起きたのか、ということを考えてもらったりした。
ブルーオーシャンは後付けの理屈である。後付けの理屈をつくることは大切なことであって、その価値を否定するつもりはない。でもそれって実際上の何かの役に立つかというと決して役に立たなくて、あくまでも後付けでよくわかるというだけのことなのだ。もう少し正確にいうと、後付けの理屈は重要である。ただしそれは「いちど頭に入れ、実際上に役に立たないということを体験し、一度捨て去るのだけれども、やっぱり拾い上げて本当はどういうことだろうかとツラツラ考え、自分なりの知見を手に入れる」というプロセスの最初のトリガーとして重要だということである。最初のトリガーがなければそれ以降のプロセスは進まないわけで、ゼロから始まるのと、1から始まるのは全く違うという意味において重要である。
空手の型と一緒なのだ、セオリーというものは。型を練習し、やれるようになって、それが全く実戦の役に立たず、やっても意味ないやんって思うのだけど、やっぱりよくよく考えなおし型のひとつひとつの動作の意味を考え直す、あるいは上位の型に進んでいく。型がなければそもそも始まらないのだ。利休百首に「稽古からはじまり稽古に戻る」的なものがあるけど、それも同じことだ。多くの解説は、意味を取り違えて書いているので、ああお稽古になってないんだなあとか思ったりする。
余談のほうが長くなってしまった。ほたら何がイノベーションの秘訣ですのんということ。複数要素あるうち、ひとつの大きな要素は「受け皿としてのチーム」である。中断しているうちに、ものすごいデモチベートするできごとがあり、続けることは得策ではないのでやめる。
 

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