graduation thesis for Jack's tea class ;-)

 

はじめるまえに

2ヶ月間の茶の湯専念期間が終わったので、graduation thesisを書いておく。家計からずいぶん出資してもらったので達成したこと達成しなかったことを書いておくのは義務のひとつかなというのが大義名分。もちろん本音は、書いて忘れよう(あるいは書いて定着させよう)である。自分のためのメモだから、数年後の自分が読んで理解できる程度の丁寧さに留める。
 

目次

  • 達成したこと(身体の遣い方/信長と天下布武と茶の湯/世界理解/教育システム/回帰先)
  • 意図しなかったが達成したこと(茶婆婆/混乱/利休/人生の終焉)
  • 今後について(茶事/継続/原点回帰)

 

達成したこと

tea class参加にあたって設定した「狙い」は下記の通りであった。
1) 身体の遣い方をマスターしたい
2) 信長が、天下布武の次になぜ茶を選んだのか理解したい
3) じぶんの至った、世界にたいする理解があってるのかどうか確認したい
4) 別の教育システムを体感したい
5) 日本の回帰先のヒントがほしい
 
それぞれについて今の考えを記す。
 

1) 身体の遣い方をマスターしたい

これはまあまあ。マスターはできなかったが、なぜ美しく動けるのかのヒントはたくさんもらった。が、なぜできないかというと、1)それが道なのさ 2)正座が続かないからさ。 それが道というのは、分かっていてもできないことを体感し続けることが道なのではないのかということをつくづく思った。仕事でも同じで、まず分かること、そしてできない自分を知ること、そしてできるよう丹念に繰り返すこと、このセットが飛躍を生むのではないだろうか。 正座が続かないというのは想像以上にこれはハードルが高かった。足のしびれはすぐに大丈夫になったのだけれども、足首と膝のスジが伸びきって感覚を失う、痛めていく、というのは予想していたよりきつかった。座布を作っていただいたり、家でもなるべくチビ椅子を使って正座をしているが、それでもなかなか……。ただよくわかったのは、正座をするとやはり姿勢はきれいになるということ。
美しい動きのヒントは、1)腰 2)グリッドシステム 3)身体サイズ 4)呼吸、と理解した。
腰というのは、身体を蝶番のようにイメージし、腰を起点にして動かすということ。日本舞踊をやっているとそういうことを叩き込まれるらしい。下半身は正座しているので固定して、上半身は背中を丸めたり左右に曲げず、腰から倒す、腰からひねる、という動きをすることが美しい動作の秘訣。
グリッドシステムというのは、とにかく全てをグリッドに沿わせる! 畳は64目(2の6乗!)で、水指は16目(畳の4分の1)に置くだとか、内隅/外隅を狙うだとか、茶入と茶筅は釜と水指を結んだ線の上に置くとか、最もハイレベルなものは釜付に揃えるとか、柄杓を構えるときには膝に平行に、茶巾は膝に平行に、蓋置きも居前と平行に、柄杓を置くときも居前に平行に、などなどなどなど、とにかく全てのモノの向き、置く場所が、眼に見えないグリッドに沿っている。現代のデザインにおけるグリッドシステムと思想はおなじ、ただ後述するようにグリッドが神の目線か「私」の目線かの違いが根本的な違い。
身体サイズというのは、これは日本の尺貫法の偉大なる達成なのだと想像するが、例えば水指を16目に置き、内隅を狙って座ると、めっちゃいいところに水指があるんですわ。建水を手なりに置いてそのあと半掛かりに進めると、ちょうどいいところに建水がくるんですわ。蓋置きを3目3目に置いて、柄杓を居前に平行に落こうとすると、ちょうど肘が自然とまっすぐになるんですわ! 根拠を持って言っているわけではないが、おそらく、身体の大きさを基準に尺貫法で建築物を作ってきたことの資産なんだと思う。これは、メートル法のはじまりの「北極点から赤道までの子午線の1000万分の一にしよう」という発想とは対極のものである。メートル法の思想はあくまでも地球基準、もっというと神の目線が基準なのだ。身体基準でものを見ると、こんなに合理的なのかというのは、お茶を点ててみるまでわたしは実感できなかった。
呼吸について、これは頭でわかっただけで、実際にはどうすればいいのか研究の余地大大大大。空間については上記のグリッドシステムと身体サイズでカバーできるが、時間の使い方については呼吸基準が正しいと思う。が、どこで息を吸い、どこで吐けば上手く行くのか、そこまで到達できなかった。お茶を点てるのは2呼吸で、というのは試してみたり、動きを変えるところは呼吸の変わり目に持ってきたりというのを試してみてたんだが、炉から風炉に変わってしまい、ゼロリセットされたので訳が分からなくなって終結。ベースのリズムを呼吸にあわせ、そして「序破急」で全体のリズムが取れれば、すごく楽しいサウンドになるんじゃないかなあと夢想している。
ってここまで書いてみて、長っ! とらさんの茶の湯体験記を出版できるんちゃうかというぐらい長くなるなこれは。anyway続けよう。書く気になったときにしか書かないのだから。
 

2) 信長が、天下布武の次になぜ茶を選んだのか理解したい

結論は、問いの立て方を間違えている。この間、この疑問をずっと考えていて、今さらながら分かったのは、信長は天下布武が終わったから茶の湯に移行したのではないということ。あくまでも信長の野望は中原制覇である。本気で中華の覇王となることを狙っていたのが真実だと思われる。九州から奥州までというのは、信長にとってはステップ1に過ぎなかった。
ということを前提として、ではなぜ信長が茶の湯を流行らせたのか。褒美を取らせる土地がなかったというのが俗説として流布されているように思うが、それは違うとおもう。貨幣経済を発展させることと、堺の商人と「互角のワカレ」に持ち込むことが狙いであったと思う。信長は土地ベースの世の中、既得権益ベースの世の中ではなく、自由競争/目利き/実力主義の世の中にしたかったんだろうと思う。そのためには貨幣経済に移行すること、原価ではなく価値ベースの世界にすること、そのためには商人の力が必要なので堺の商人が活躍できる土台を作り、一方で名物狩りをやって一方的に商人側有利とならないように取り計らったものと想像される。
ということで、端的に答えるなら、信長が茶をやった理由は、中原制覇の布石(右下隅を互角のワカレに持っていった)。
 

3) じぶんの至った、世界にたいする理解があってるのかどうか確認したい

これは早々にOK。oneness/now & here。
 

4) 別の教育システムを体感したい

大変におもしろかった。システムとしては、他の道と比べ、上手い下手が出にくく、名物や歴史が価値を決めるので分派が少ないということに納得。続けることに価値がでてくることについては、これは真摯に受け止めたいと思う。
各論で言えば、軸説明はこれは仕事の中でもうまく応用したいと思った。ミーティングの型を修整したい。それからPRMは茶事になればいいんじゃないかなと思った。だから2時間ではなく4時間。議論に入る前の雰囲気づくり、露地、食事等を含めてトータルなデザインをもういちどやれればなというのが野望。
あるいは個をエンパワーするにあたって、茶会のエッセンスを抜き出して使えないものかなと思ったり。
 

5) 日本の回帰先のヒントがほしい

これは難問。講か道かやと思っていたのだがそうとも言えず。講は大衆のもの、道は為政者のもの、というところまではたどり着いた。単に道と捉えていいものなのか、道を今にあわせてアレンジするのか、道は道でも老荘に戻るのか、日本の武家の道に戻るのか、などと考えるとわからなくなる。陰をあらわし全をおこす、というところまでは確信に近いのだが、道についてあらためてわからなくなった。
 

意図していなかったが、達成したこと

やってみるまで成果を想像もしていなかったが得たことは、1)茶婆婆について 2)混乱について 3)利休について 4)人生の終わりについて。
 

1) 茶婆婆について

茶婆婆は聖徳庵スラングで、意味は略。もちろんアンチとして捉えているわけだけれども、でも、茶婆婆って凄いよね、ということをはじめのほうは思った。
もともと男の習い事であった茶の湯を、女の習い事にしてでも生き残りをはかり、思想はともかくとして形とモノを残そうと判断した当時の茶の湯界のひとびとの大英断を想像すると、茶婆婆が遺伝子を保存してくれているから歴史を辿れるのであって、また、職人に仕事があり、展覧会をやれるのであって・・・まああれをやりたいかどうかは別として、ともかくその英断と存在には感謝の気持ちが絶えないわけ。
って思ってたんだけれども、明治初期の茶の湯界は、大英断するどころの騒ぎではなく、死ぬか生きるかの必死のパッチやったんやなあということが判明。とにかくどんな形であれ体制に擦り寄ってであれ取り潰されることをぎりぎりのところでかわし、血路を開いたのが女子学校の科目への潜り込みやったんやなあ。と。国学者の多くが煎茶びいきであり、維新側の志士に人気があったのは煎茶であり、将軍の後ろ盾で栄えていた反動で、点茶はほとんど潰れかけてたんやね。文化革命の圧倒的破壊力、廃仏毀釈の破壊力が、点茶にも襲いかかってきていたわけで。各神社への献茶式(これはいまでも続いている)、茶の歴史の書き換え、財界へのへつらい、戦争協力、あらゆる手を汚す仕事を積み重ね、ここまで来たことを思うと、簡単に茶婆婆いいね、とも言ってられないなと。
この話には結論がない。茶婆婆を批判否定する気はないし、茶道界が善悪含めて何をしてきたのか問い質すつもりも評価するつもりもない。good storyだけじゃなくて、true storyを理解し、血塗られた歴史も全部含めてオッケーという境地に立ちたい。無知は良くない。知ったうえで、まるごと受け入れたい。なんか上から目線の書き方ですがそういうことではなくて、just accept、でっす。
 

2) 混乱について

ジャックの言葉でノックアウトされたのは「confusion leads wisdom」「trust whole situation」「give-up all hope of fruitton」
 

3) 利休について

聖徳庵ジョークで、ダ・ヴィンチ・コードならぬ「リキュウ・コード」が流行ってたんだけれども。
自分なりにgood storyではなくtrue storyを探っていってわかったことは、なんでもかんでも利休の功績にし過ぎということ。南方録がつくられた(言葉は悪いけどでっち上げの書)のが4代目〜5代目のころで、ちなみに1〜3代目は名前貸しですから、創業者とその息子世代が、利休を祖とする世界観を創り上げたに過ぎない。そのことについてまったく批判的ではない。伝わらないtrue storyより、何百年と生き残るgood storyを創り上げた功績のほうが、すんごいとおもう。偉大なる達成だと思う。
なんでそれほどパワフルなgood storyに成り得たのかのほうがむしろ興味があって、世界の創世記の物語と、利休を祖とした場合の物語を比較してみて、やっぱり創世記の物語になってるからだなあということを思った。シルマリルと比較するならば、イルーヴァタールがタオイズムあるいは禅、アイヌアが利休、ヴァラールとマイアールが利休七哲、(あるいはヴァラールの王マンウェが利休)、人間の世界の王がお家元、でしょうか。でしょうか、っていっても何言ってるか全然分からないと思いますが。って書きながらわかりました。利休はマンウェであり、メルコール(モルゴス)が秀吉やわ。だからgood storyにおいては、秀吉は悪でなければならないのだ。書きながら、今、納得。
学びを得るとすれば、物語を作るのならば、これぐらいの構想が必要だということですなあ。
 

4) 人生の終わりについて

聖徳庵に2ヶ月ほど居付いて、思ったことは、人生の終焉をどのように迎えるのが幸せなのかということ。次々と人が集まる聖徳庵には、幸せのひとつの形があると思った。
聖徳庵ジョークで、お服加減を聞いたあとに倒れて、釜で頭を打って死ぬのを理想とする、というのがあるけれども、それは半分はジョークではなくて、素晴らしい死に方だと思う。同席した客(あるいは生徒)は好い迷惑だけど。
自分のなかで、死ぬまで仕事をするというのは決めているが、何がその仕事なのかがわからない。コンサル業は天職だと思うが、死ぬ直前まではできない。自分が死ぬ直前までやる仕事が何なのか、探し続けたいなと思う。今回のtea classを通じて、選択肢の一つとして、お茶の先生と、大徳寺で得度するというのが浮かび上がってきた。
 
だんだん長くなって疲れてきたのと、こればかりに集中できない状況もあってそろそろ息が続かなくなってきた。
 

今後について

いずれも個人的な活動目論見。1)茶事 2)継続 3)前衛あるいは原点回帰
茶事について。個人的には、茶事をやれなかったのが残念だった。状況としては、炉が風炉に変わってゼロリセットになっちゃったので、後悔はない。がやり残しはやり残しで。とはいえ、茶事をやることを想像するだけで楽しいし、いろいろ考えたので、それでまあ、この期間は良かったのかなと思う。いつかは茶事をやろう。江戸末期、つまりは茶の湯の破壊期以前は、薄茶濃茶と炭手前を習ったらすぐに茶事をやることを習ったようで、茶事ベースのお茶の世界に戻してもいいんじゃないのかなと思った。
継続について。続けることで得るものが多くなっていくということが分かったので、どうにかこうにか、続けて行きたいなあと思う。それがどんな形になるにせよ。
 
原点回帰について。お茶がパワーを得るには、あらたなる局面が必要なのではないか、と思う。そんな大所高所から考える資格もないし、必要もないか。個人的な志向として、ぜひ原点回帰を突き詰めていってみたいなと思う。利休の侘茶の時代に愚直に戻ってみたいなと思うのだ。未来のための原点回帰のポイントだと思うのは
A) 千宗易に戻る。利休ではなく宗易。 B) 宗易以降約400年の達成を取り入れる。 C) 一座建立(あるいは一期一会)に徹する。
宗易について。利休と呼び習わすのは、利休が禅と繋がっていることを強調したいがためであって、宗旦の作為である。ゆえに、good storyではなくtrue storyに行く意思表明として「宗易」を使う。
とはいえ400年間の達成には敬意を払う。それは料理の世界であり、庭の世界であり、道具の世界である。物語は脇においたとしても、400年に渡る各界の天才の表現が、モノとしてあらわれたのについては、使わせていただくべきだと思う。
一座建立は、世阿弥の風姿花伝によるので、宗易時代にも使われていた可能性がある。一期一会は宗易自身の言葉ではない(井伊直弼)だが、宗易自身の言葉として残されているものに非常に近い。ちなみにメモしておくが、和敬清寂、利休百首、利休七則、いずれも後世の創作である。創作が悪いとは言わないし、利休の精神性を表していることには賛同するが、それは宗易ではないと思う。
Aが陰、Bが陽、Cが太極(あるいは円相)である。Aが空、Bが色、Cが波羅蜜多(パラマウント)である。なあに言ってんだか。
 
利休をヴァラールの王とする創世記的世界観にこれでは勝てないと思うが、利休をほんとうに理解しようと思えば、愚直に宗易に戻ってみることではないかというのが、今の結論。
 
以上、頭のなか全部出し。からっぽ!
 

広告を非表示にする