遭遇@

本日、赤坂見附の地下鉄の券売機付近で大江健三郎氏に遭遇。
すれちがったときに「あれっ?」と思って二度見して、ああ、大江健三郎だ、と思った次第。引き返して握手を求める程のファンでもなし、みんなに取り囲まれて大群衆になっていたわけでなし、大江健三郎氏だという確証があるわけではないけれども、あれは間違いなく大江健三郎氏であるという確信で以下記述。赤坂見附の駅に入るにあたって、「この降り口を使うんだ」という心の声がなぜだかして、それで見たんだから間違いない(と怪しいことを言っておく)。
 
大江健三郎氏についてはあまり多くを知っているわけでもないし、いくつかをつまみ読みしたに過ぎないのだけれども、「戦う人」という印象がとても強かった。全共闘世代の闘士なのか、闘士に支持されたのかどちらかよく分からないけれども、東大の、反体制の代表みたいに、わたしのなかでは勝手に位置づけていた。
 
今日お見かけした感想は、率直に、いろいろトンガリがとれていいおじいちゃんになってるなあ、と思った。
もちろん、周りを取り囲んでいる人たち−想像だが今日講演会か勉強会があって、出版社だか主催者だかが最後の挨拶をしていたのだと思う−はすごく気を遣って丁寧に遇しているし、それを受けている大江氏もニコニコしていて好好爺なのだけれども、その奥の眼光鋭く、一体の空気はなんというか、すこし張りつめていて異空間となっていた。とはいえ、通りゆく人のほとんどは気付いていないらしく、でもその、気付かせないオーラがその一帯を取り囲んでいる、もしも気づかれて騒ぎになりそうなら次にどうするか一同頭の片隅にいれている、みたいなそういう雰囲気。
 
そんななかリラックスしてニコニコ笑って挨拶に応えている大江氏は、何かと闘っているようには見えなかった。
ご様子から僕が想像したのは、大江氏はそもそも誰とも闘っていなかったのかなあということ。自分自身であろうとして、たまたま時代が闘いとみなし、お子さまのことがあって、たまたまそれも闘いの様相を呈し、しかしそれはそもそも闘いではなかったのだ、という気持ちに至っておられるような感覚を受けた。
 
なんだか少し縮んだ老人に見えた大江氏(たぶん)に、今日は、たくさんの気づきと勇気を得たような気がいたしました。
 

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