【11B059】茶の湯の歴史(神津朝夫)

茶の湯の歴史 (角川選書)

茶の湯の歴史 (角川選書)


茶の湯の「伝説」と「史実」をふるいわける丹念な仕事の一冊。お茶の世界で「あたりまえ」「これが歴史だ」と思われていることと、物証をたどっていって見えてくることとはずいぶん隔たりがあることがわかってとても面白い。ただし、この本は「今の常識に対して、事実はこうである」と記載されているのだが、「今の常識」についての説明がフルではない、つまり、ある程度知識を持っていることが前提である。その点ではちょっとハードル高い。しかしめちゃめちゃおもしろい。
ま、そもそもお稽古の場で、歴史や作法の意味について語られるかどうか怪しいという話はある。先生にもよるのだと思うが、全く教えてくれない先生は教えてくれなさそうである。
 
諸先輩に茶事をすすめて頂いているのだが、千宗易が当時何を考えていたのかを含め、様々考えることができて面白かった。
 
面白かったポイントは山ほどある。千利休がいってることになっているのはほとんど伝説である。和敬清寂も違うし、利休七則、利休百首も後世の創作。一期一会が唯一近いが「一期に一度の参会のように」と残されているだけであり一期一会は井伊直弼のことば。南方録もおなじく後世の創作。宗易の師匠は、北向道陳と武野紹鴎とされているが、紹鷗ではなく辻玄哉であると考えるほうが妥当。将軍の書院造りが作法のルーツというのもフィクションであり、宗易が侘茶を創造したというのもフィクション。茶と禅のつながりが強調されるのは少なくとも宗易の孫、宗旦以降。宗易は法華宗に近かった。宗易が身を立てたのは三好長慶と組んでの死の商人として、三好長慶の菩提所である大徳寺聚光院に宗易の菩提所もある。昔は濃茶と薄茶の点前は同じだった。四方捌きは唐物などに使われていたのみ。江戸末期までは、薄茶濃茶と炭手前をやったら茶事もやっていた。宗易時代「唐物」といっていたが、当時からさらに200年前のものを使っていた。当時中国では抹茶文化も絶えていたのに、これまた200年前の点茶法を使っていた。等々。
 
あげるとキリがないのだけれども、なぜ信長が茶の湯を選んだのか、文禄・慶長の役の謎にもうちょっと迫っていきたいということと、茶事をやってみたいなあと思った。
 

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