虎(牛)龍未酉2.1

記録帳|+n年後のジブンが思い出せますように……

【11V008】ソーシャル・ネットワーク(デビッド・フィンチャー)



 
とくに予習はせずに、思いつきで観にいった。
映画が終わっておしっこしながら頭に浮かんだフレーズは
「リアルタイムのできごとを映画にまとめるのは難しいんやろなあ」
デビッド・フィンチャーらしからぬ」のふたつ。
 
だったんだけれども、ベッドに寝転んでなお、
なんとはなしに気になり、
寝ながら考えていたというような状況。
 
なにが気になっていたのか。
・なぜあのシーンから始まり、あのシーンで終わったのか?
・なぜフラッシュバックを多用した構成だったのか?
・ボートレースのシーンのわざとらしいCG処理はなんだったのか?
この3つがどうしても腑に落ちてないのが続いていたようで。
 
デビッド・フィンチャーといえばエイリアン3で華々しくデビュー。
話題作で、難波の映画館まで観にいって、まあなんというか、
なんというか・・・という映画だったと記憶。
 
それからなんといってもセブン。あれは面白かった。
マッキントッシュ世代のエッジの効いたタイポグラフィ
ブラッド・ピットモーガン・フリーマンの演技合戦、
パルトロウは美しく、結末は衝撃的だった。 
 
下調べせずにいったから自信ないけど、デビッド・フィンチャーって
エイリアン3とセブンのフィンチャーだよねと。
映像もとがってないし、シナリオもとがってないし、
いったいなんだったんだろう。どうしちゃったんだろう。
でも、「だめだこりゃ」と切り捨てるのも、
ハートがノーと言ってる。
 
なんであのシーンからはじまったの?映像よりセリフが入る切り込みの鋭さ。
なんであのシーンで終わったの?映像をフェードアウトさせずに
最後に字幕をかぶせるのはなんでなの。
終わる直前の新任弁護士の思わせぶりなセリフと演技は
なんだったの。
 
ナップスターの創業者にどういう意味をもたせたの。
なんでヴィクトリアズ・シークレットなの。
「妻に下着を買ってあげたかっただけなのに」
 
ネタバレもあるので曖昧に書きますけど
すべては女の子から始まり、人脈とエネルギーの嵐に巻き込まれ、墜落死する話。
妻であり、ラクロスであり、ドイツ系。
 
ところでナップスターって、好きなんだけれども嫌いで、
なぜなのかわかってなかったのだけれども、
ようやくわかった。破壊志向だったんだね。
思想は好きだったけど、あのアイコンが好きになれなかった。
そして、破壊を志向すれば、破壊が返ってくるんだね。
 
あーそういうことですか。書いていてようやくわかるということも
あるんやねえ。今わかりました。
ヴィクトリアズ・シークレットは、「想い」を失った例で、
ナップスターは想いは失わなかったけれども、想いが邪悪であった例で、
フェイスブックは、純なる想いがキープされている例なんだ。
その3つの対比がやりたかったんだ。
 
だからマーク・ザッカーバーグは、
PUREを維持しているから250億ドルなんだなと。
だから、この物語は、主人公が成長しないのだ。
ソーシャル・ネットワークは、主人公が成長しない映画として
描かれなければならなかったんだ。
 
そして、主人公にヒーローズジャーニーがないから、
シナリオをフラッシュバックスタイルにしなければならなかったんだ。
(そういえば、これは村上春樹の「風の歌を聴け」もおなじだ。
主人公は成長せず、ただ通り過ぎるだけ)
 
これが新しいアメリカンドリーム(世界のドリーム)の姿の
予感であって、
デビッド・フィンチャーは、その善悪も良否も判断せずに、
全部まるごと受け取ったんだなと思った。
器、でかっ。
 
だから、最後のシーン、新米女性弁護士は思わせぶりな
セリフと演技が必要なんだな。
フェイスブックの結論はまだわからないわけだけれども、
デビッド・フィンチャーは、そこにある新しい可能性に、
賭けてるんだろうな。
 
そんなふうにツラツラ思ってたら
「もしかして、ソーシャル・ネットワークを、
デビッド・フィンチャーの自伝だと思って理解すればどうだろうか?」
とひらめいてWikipediaデビッド・フィンチャー
調べていたらこれも面白かった。
 
デビュー作エイリアン3は、話題作ではあったが評判は散々。
シガニー・ウィーバーに罵倒され、マイケル・ビーンとは訴訟。
まんまソーシャル・ネットワークじゃないですか。
 
セブンは、映画界にデジタルエイジがはじめて大々的に登場した
映画だったと思うんですけど(正確にはマッキントッシュエイジですか、
デジタルエイジが監督になった衝撃作はマトリックスか)、
フィンチャー監督も、人脈とエネルギーとお金と投資家とメディアに
もみくちゃにされたんだろうなと想像した。
 
デジタルがリアルを喰い始める、大きな一歩をフィンチャー監督が
踏み出し、もっと大きな一歩を、マーク・ザッカーバーグが踏み出す。
リアルとデジタルが逆転する兆し。あるいはそれは兆しではなくて、
すでに起こった未来かもしれない。
 
だから、ソーシャル・ネットワークのボート競技のシーンは
わざとらしいデジタル処理を、しかもそのシーンだけ露悪的に
かけてるんだな。いかにもデジタルで加えられた飛び散るしぶき。
ミニチュア風に色彩とフォーカスをコントロールした遠景。
もはや、リアルはリアルではないという宣言なのだ。
そして、リアル側にいる彼らが受け取るのは6500万ドル。
マーク・ザッカーバーグが産み出した資産は250億ドル。
そのことは、最後の最後には字幕で語られなければならない。
 
デビッド・フィンチャーから、マーク・ザッカーバーグへの
応援メッセージだとおもって理解しなおすと、
ほんとうによくできたシナリオ、よくできた映画だと思いました。
 
あってるかどうかわからないけど、自分なりに理解できて、
大変にスッキリ。あーきもちいい。