虎(牛)龍未酉2.1

記録帳|+n年後のジブンが思い出せますように……

ツラララララ……

人にもともとあまり興味無いと言ったら大反響。大というほどではないか。
いっぽうでもう一度よく考えてみても、人に興味がありますか、と聞かれたら、やっぱり無い、と答えるだろうなと思うわけです。
人に興味がなかったら、この仕事では行き詰ると思うんですよね……と言われて違和感。人に興味があるという、興味の定義が他人と違うのだろうか。本当に相手に対して関心がなければこの仕事でうまく行くはずがない。しかし人に興味が必要なのか、と考え直すと、別に興味なくてもいいじゃんと思う。
むしろ、人に興味がなさそうに、周りからは見えるということなんだろうかね。
どんなクライアント、どんな業種業態、どんな相手とも仕事をして、だいたいブレなく成果を出し続けてきていて、クライアントから尊敬されることはないけれども、一定レベルで認めてもらえて、時にはすっかり入れ込んでもらえて、という仕事を続けているのに、まったく人間に関心がないわけないじゃん。
たとえば、インタビューで30分話せば、組織内でどういう問題を抱えているかだいたい想像がつく。この人は弱いから部下に言えなくて、逆マウンティングされてるんだろうなあ。とか。キックオフの質疑応答の2分ぐらいのやりとりで、この人がプロジェクトを邪魔するな、とかもわかる。幼稚園の運動会に行って、A先生とB先生が仲悪いなとか、どっちかが上乗りしてるなとか、ちょっと見ていればわかる。精度は100%じゃないけれども、その後検証して間に合うぐらいには分かるものです。プロだし。
ただそれを「興味がある」という言い方があてはまるかというと、自分の中では興味の問題ではなくて、ただ分かるか分からないかだけのこと。興味を持たなくても分かる。いやでも興味を持って見ているから分かるのかな。
何にせよ、極端なものの言い方は、それが自分の実感であったとしても、避けたほうが良いということは良く分かった。それから、自分を理解してもらうための言葉や表現って、必要だなと思った。
ついでにいろいろ思ったのは、最近いろいろなことを説明することが面倒くさくて、それは仕事の内容のこともあるし、自分自身についてもことでもあるし。しかしこう説明可能性というのは大事だなあというのは思った。それから思ったのは、日常会話のスキームを失っているような気がすること。仕事上の会話のスキームは持っているけれども(それも持っているのだかどうか)、それ以外のコミュニケーションスキームを、つくりかえ切れずにここまで来てしまったなあというのはつくづくと思った。思うだけなんですが。