虎(牛)龍未酉2.1

記録帳|+n年後のジブンが思い出せますように……

歎異抄、第1章

【原文】

弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさん(申さん)とおもひたつこゝろのをこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、たゞ信心を要とすとしるべし。そのゆへは、罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆへに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆへにと、云々。

 

【訳】

阿弥陀様の本弘誓願という人智を超えたはたらきに助けられ、往生できるのだと信じ、念仏を唱えようと思い立つこころが起きるとき、たちまち阿弥陀様のご利益に預かることになる。阿弥陀様の本弘誓願は、老若であっても、善悪であっても、人を選ばず、唯一信じる心を必要とすることを、よく理解しておくのが良いだろう。というのは、そもそもが罪悪が深く重く、あるいは煩悩が熾って盛んな人々を助けるための誓願でいらっしゃるからだ。従って、阿弥陀様の本弘誓願を信じるのであれば、他の善行も必要ではない。というのは、念仏にまさる善行はないからだ。(すでにやってしまった)悪行でさえもおそるるに足りない。というのは、阿弥陀様の本弘誓願の成就を妨げるほどの悪行はないからだ。などと親鸞聖人は仰った。

 

【作業メモ】

表現は岩波文庫歎異抄』に沿った。